記事一覧

 このノートブックは、深見友紀子が原告となった裁判・最高裁パートナー婚解消訴訟の補足説明としてスタートしました。裁判の内容を知らないと理解しにくい文章があると思いますので、興味のある方は、下記サイトまでアクセスしてくださいますようお願いします。
http://www.partner-marriage.info/

 2009年以降のノートブックは、「ワーキング・ノートブック」に移転しました。

ゼミ生との歳の差は28歳に

 昨日、京都女子大の卒業式と謝恩会がありました。
 また1年経ち、学生たちと私の年齢差はさらに1つ増えて、28歳に。
 このノートブック、最高裁・パートナー婚解消訴訟や、男女の在り方のことを交えて書くとなると、なかなかサクサク書けないので、きょうは日常的な話題にしました。

ファイル 175-1.jpg
音符の模様の着物です。
ファイル 175-2.jpg
▲クリックすると拡大します▼


勝てる弁護士

 3月6日
 弁護士の荒井裕樹さんが書いた「プロの論理力」という本を読んだ。
 荒井さんは青色LE・中村裁判などを担当した人だが、偉大な発明者たちを弁護しているだけではなく、痴漢事件なども担当し、通常なら五十万が相場の事件で三百万勝ち取った経過をこの本で詳細に書いている。読んでいくうちに、私は、もし、最高裁・パートナー婚解消訴訟をもし荒井さんに依頼していたなら、勝っていたのではないかと思い始めた。

 以下、荒井さんの本からの引用
---------------------------------------------
 裁判のうち七割は、審理を開始する前に訴状と答弁書を見た段階で、どちらが勝つかわかっている。・・ 弁護士の仕事が高く評価されるのは、その手腕によって、担当した裁判を勝訴に持ち込んだときだ。とはいえ、誰が見ても当たり前の単純な訴訟で勝ったとしても、弁護士の「得点」にはならない。どちらに転ぶかわからない裁判で「勝てる弁護士」が、すなわち「優秀な弁護士」ということになる。・・・
 弁護士の手腕によって勝敗が左右される訴訟は全体の三割しかない。七割は、最初から勝負の行方が決まっている。ならば、大半の裁判は、どんな弁護士を雇っても同じことだ。弁護士の力量とは関係なく、勝てるときは勝てるし、負けるときは負ける。・・
 最初から勝敗の決まっている訴訟が仮に七割あるとすれば、「平均点」の弁護士でも、十回のうち七回は仕事を得るチャンスがあるということになる。たとえ負けても、それが世間の「相場」なのだから自分の責任ではないし、どんな結果になっても着手金は入ってくるのだから、こんなに「ありがたい」ことはない。・・
 弁護士業をビジネスとした見た場合、「平均点の仕事」をしていれば、「無難に稼げる」のであるから、あとはどれだけ多くの仕事を受注できるかにより、その収入が決まる。・・・
 私はそれを「つまらない」と思う。・・・だから、弁護士をやっている以上、自分の力を試される三割を担当したい。(「プロの論理力」より)
---------------------------------------------

 「一度負けても、違う視点でもう一度裁判をすることができるのじゃないの?」とパートナーのSさんが言ったとき、おもしろそうだなぁと思ったけど、私が公開している最高裁・パートナー婚解消訴訟の事実関係を分析して、私の「前例」を打破する弁護士がそろそろ出てきてもいい頃だから、当面はそっちに期待しよう。

 裁判所への提出書類に満々の「サービス精神」(p.134)を込め、法律家にとってはもっとも強固な最高裁の判例という「前例」を打破する(p.37)裁判。


2月、いろいろすっきりした

 2月28日
 毎年2月は実質的な意味で年度末なのですが、明日3月1日に50歳になる私にとっては、今年の2月は、特に40代最後の区切りの季節です。
 幾つかの研究費の予算執行の締切りが目前で、カウントダウン状態。
 2月恒例の大腸の検査も受けました。腸の中をからっぽにするのは、「掃除好き」で「合理主義」の私にはたまらない快感です。信じられないという人、多いんだろうなぁ。

 誕生日までにすっきりしたかったので、30時間領収書にまみれて確定申告の書類を作り、夕方に税務署に郵送。30時間、顔も洗わず、風呂にも入らず、髪の毛もとかず。この作業は、還付金で海外旅行に出かけることを楽しみに、気分転換などをせず一気にやったほうがいいのですよ。
ファイル 173-1.jpg
 この冬、一度も風邪でダウンしなかったです。昨年の夏から始めたホメオパシーのおかげかもしれません。レメディのうちの一つ、アコナイトを一粒なめると治ってしまうのです。不思議ですよ。
アコナイトとは? http://www.fairdew.com/homeopathy/AIN_set001.html
 音楽之友社から出す本もやっと明日3月1日校了。これもすっきりしました。「この一冊でわかる ピアノ実技と楽典」という書名に決まりました。

 友人の占星術師、小瀬泉さんによると・・・・
「2月は、経過の冥王星と出生の冥王星・進行の太陽がグランドトラインを形成する。生涯の中でも大チャンスの部類に入るが、調和的な角度なので、ぼうっと過ごすと何事も起きない可能性もある。」 
 やれなかったこと、チャンスがなかったこと、認められなかったことが一杯あるというのに、ぼんやりと過ごしてしまったかも・・。


私から産まれ、この世に生きているということ

 2月20日
 年末以降、プロジェクトで進んでいる仕事や、食事会などで女性の友人や仲間と会う機会が何度かあり、フト気づいたことがありました。
 子どもがいるのは私だけということ。
 世の中の平均では、女性一人につき、1.26人の子どもを産んでいるらしいので、たまたまかもないですけど、子どもを持たない人は驚くほど多いのです。
 彼女たちはみんな優秀でまじめな女性たち。子どもをもつことや自分のキャリアのことを人一倍真剣に考えてきたはずです。私だけが不真面目=無謀だったのかもしれません。

 29歳の春にやっと大学を出て、娘を妊娠したのは31歳の秋でした。世間的にはキャリアを積んでいないという理由で出産を後にのばすでしょう。しかし、産んでくれるだけでいいという男性(最高裁・パートナー解消訴訟の相手)が現れて、その話にのりました。3年後、もう一人産みました。妊娠中私は一時危篤になりました。いろいろな事情が重なり、第二子とは会っていませんが、息子は今を生きています。私が育てていないことを批判している人もいるだろうけど、人はさまざまな事情を抱えて生きているのですよ。

 12月に父が亡くなったとき、棺のなかに横たわっている父を見ながら、この人がいなければ私は存在しなかったんだなぁとつくづく思いました。父は昭和20年の大阪大空襲のなかを逃げ回り、九死に一生を得た人。もしその空襲で死んでいたら、私は存在しない・・・。

 私は子どもを産んでよかったと思いました。

 最近、娘とは些細なことでメールでケンカになりましたが、元気に生きているだけでいいと思うようにします。インターネットのおかげで、息子が中学でテニス部に入っていることもわかるし、描いたポスターも見れるし・・。とてもいい時代です。


夫婦別姓を待つ人たちのため息が聞こえる

 2月15日
 2006年の内閣府が実施した調査で、特に20代、30代の若い世代で選択的夫婦別姓制度に反対する人が5年前に比べると増えたそうです。
 この調査に関する新聞記事については、以下のページが一番詳しいです。ちなみに、この「夫婦別姓を待つ身の溜息」さんの情報収集力はホントにすばらしいです。こういうすごい人がいるのですね。
http://fb-hint.tea-nifty.com/blog/2007/01/index.html 
January 29, 2007

 私の周りにいる学生たちの中に、結婚したら夫婦別姓にしたいと思っている人はほとんどいないと思います。京都女子大の児童学科だからで、これが早稲田の政経とか、慶応のSFCならばもう少しいるかもしれませんが、全体としては、別姓なんて考えたこともない人がほぼ全員でしょう。
 自分は選ばなくても他人が選ぶことを認める人なら増えるかというと、おそらくそうでもなく、子ども関連の仕事に就きたいと思っている人が多いので、父と母の名前が違ったら子どもは不幸だという意見が大勢を占めるでしょう。父と母が同じ姓でも不幸な家庭は一杯あるのに、父と母の名前が違ったら、文句なく不幸だと思っている。かと思えば、芸能人のように母が芸名で仕事をすることには反対しない・・。そんな程度です。
 一方で、私の周りでも、既婚女性の旧姓の通称使用は一般的になっています。でも、この通称使用というのはとても中途半端。仕事をする際に旧姓の通称使用をしている人たちに、私は新しさを感じることはまったくありません。男女、結婚、家に対する考え方は凡庸そのもの。名札を変えている分、余計に凡庸さが目立つことが多いし、結婚を機にあっさり相手の姓になった人より、仕事に対してより意欲的かというと、そうでもないです。

 若い世代は後に続かないし、名札だけ違えれば満足している、あまりわかっていない人たちが、もっとわかっていない人たちから、夫婦別姓実践派だと思われる。こうした現状は、夫婦別姓の法制化を進めるために努力してきた人にはがっかりな事態でしょう・・ね。

 最高裁・パートナー婚解消訴訟のニュースが流れたとき、ネット上で最初にまじめに興味を持ったのは、「夫婦別姓を待つ身の溜息」さん、エイサクさんら、夫婦別姓の推進派の人たちでした。私は不思議に思いました。彼らが目指すのは、“婚姻制度の改革”であって、私が目指すのは“婚姻制度の埒外で生きる”ことであり、ひいては“婚姻制度の崩壊”なのに・・。
 仮に選択的夫婦別姓制度が導入されても、その制度に乗っかるのは、旧姓を通称として使用している人たちのうちの一部だけでしょう。10月5日のノートブックで紹介したアーティストのカップルも、私とパートナーのSさんも婚姻制度の埒外で生きると思います。
 先週、一時帰国しているベルリン在住の友人が「法律的に結婚しても、何一ついい事はないよね。」と言いました。私も心からそう思います。
 従来の夫婦、制度に乗っかる「保守」別姓夫婦、制度に乗っからない「革新」別姓夫婦、そして独身者・・。ますます複雑になり、互いに共感しなくなるでしょう。


どれもこれも似たようなもの

 2月6日
 柳沢大臣の「女性は≪産む機械≫」発言について、いろいろな人がいろいろと言っていますが、今回の件のコメントのなかでは、次の大月隆寛さんのコラムが一番わかりやすいと思いました。結局、どれもこれも似たようなもの、というコト。でも、オトコの側の深刻な女性不信、「おんなぎらい」があるのなら、オンナの側の深刻な男性不信、「おとこぎらい」もあるはず・・・。
 ところで、大臣夫人の柳沢紀子さん。業績なんてほとんどなさそうなのに、03年に63歳で武蔵野美大の教授になっているみたいです。どこもかしこも似たようなもの、というコト。詳しくは以下の「きっこさんの日記」で。

http://www3.diary.ne.jp/user/338790/
2007/02/05 (月) カメムシ大臣の裏の顔 3

【コラム・断】「産む機械」-少子化の根底に女性不信 

 「女性は≪産む機械≫」発言で、柳沢厚生労働大臣が四面楚歌(そか)、立ち往生であります。
 政治家の発言としてちと不用意だった、それは確かですが、しかし相も変わらず、前後の脈絡すっとばして片言隻句を揚げ足取りして騒ぎ立てるメディアの手癖も恥知らず丸出し。ましてや、その尻馬に乗って女性議員たちが一斉に文句つけるありさまには、いやもう、心底萎(な)えました。なにせあなた、高市早苗から辻元清美まで申し合わせたように「許せない」ですと。

 少し前、少子化対策と称して、政府主導で集団見合いを、と真顔で提言されてた女性大臣もいらっしゃいました。とにかく、つがいをこさえりゃ何とかなる、頭数さえ増やしてくれりゃいい、というその発想は、今回の「産む機械」発言と似たようなもの。同様に、ニートや引きこもりを何とか働かせようという画策や、ホワイトカラーにタダ残業させようという例のホワイトカラーなんちゃらも、人ひとりを労働力、生産機械として考える上じゃ同列でしょう。

 で、政策的な観点というのがそういう間尺になっちまうのも、ある意味しようがないわけで、戦前の「一銭五厘」から高度成長期の「金の卵」まで、もの言いとしては連綿とあります。なのに、他でもない代議士サマがそのへんの事情も抜きにして、大文字の「オンナ」をひとり勝手に背負って立つような居丈高な身ぶりや言動でここぞと騒ぐそのさまが、まず何より疎ましい。

 少子化の現在には、オトコの側の深刻な女性不信、「おんなぎらい」が横たわっていることも、さて、まなじり決して正義の味方ぶりっこの女性議員たちは、どれだけ気づいていらっしゃるんでしょうか。
(民俗学者・大月隆寛 2007/02/04 09:38 産経新聞)


1月の終わりのいろいろ

 1月31日
 3日間、京都女子大の前期入試で本部ブロック主任をしました。
 朝7時45分に集合。夜型の私としては驚くほどの早起きでした。自分から率先して動く気配り満点のS先生と、いつも私が頼りにしている、京都女子大の事務のカリスマ女性2人とチームを組みましたが、事務能力も主婦的な機転もない私にとっては、自分が役立たないことを確認するだけの3日間だったです。自分に向いていない仕事をしている女性が結婚して専業主婦になりたい気持ちがわかりましたよ。
 ストレスを解消しようと、きょうの夜、アーユルヴェーダマッサージに行きました。新風館でショッピングもしました。

 京都女子大での教員生活も三年目が無事過ぎようとしています。ゼミ生も3期目。

ファイル 169-1.jpg
 
 赴任当時、研究室の廊下側の壁一面、天井までの高さの本棚を作ってもらいました。2年間で一杯にしようとしたのにまだまだスペースがあります。随分頑張って子どもの音楽関連の本を集めたんだけどなぁ。

ファイル 169-2.jpg
 ▲クリックすると拡大します▼

 最近、四条の着物屋さんで、音符デザインの反物をみつけてもらい、今仕立てています。

ファイル 169-3.jpg
 ▲クリックすると拡大します▼


学長宛の匿名の郵便

 1月26日
 昨年の8月、私のゼミ生と名乗る人物から、投書郵便が大学の学長宛に届きました。8月19日、8時から12時までの間に京都東山郵便局管内で投函された、差出人不明のワープロ手紙。私はその手紙を未だ見ていないのですが、大学の事務の人によると、そこに書かれているのは次のような内容でした。

・京都市内のU児童館のホームページに、5月の深見ゼミのコンパ写真が載っている。
・ゼミ生である私(差出人)は、その写真がインターネットに載っていることで、とても不愉快な思いをしている。
・どういう経緯で、その写真が深見からU児童館に流出したのかを調査してほしい。

 私は耳を疑いました。ありえない!
 
 その写真とは、次の写真です。
ファイル 168-1.jpg
▲クリックすると拡大します▼

 これは、U児童館のUさんが撮ったもので、コンパの翌日、私はUさんからメールで写真をもらい、研究室のページにも、その後、このノートブックにも載せました。つまり、流出というのなら、U児童館→私のはず!
 その3ヶ月ほど前、私がU児童館の主催の音楽講座をしたときに、お手伝いに来たゼミ生14名全員にUさんはランチをご馳走してくださったので、そのお礼に、Uさんをコンパに招待したのです。Uさんの分はゼミ生が一人200円ずつ出し合いました。

 80歳を超えて趣味がカメラとホームページ作りというUさんは、コンパの席でも「明日、児童館のページに載せるね。携帯からもアクセスできるから見てね。」と孫娘たちに言うようにうれしそうに話していました。
 結局、私から児童館に流出したのではないので、この郵便は単なる嫌がらせとして処理されました。もし本当に苦痛を取り除きたいのならば、返事を受け取ることができるように、差出人を明らかにしなければならないでしょう。匿名である限りは、誰を削除して欲しいのかも、該当部分をカットさえすれば使っていいのかもわからない・・・。
 私は差出人がゼミ生であるわけは絶対にない!!と思っています。今まで一瞬たりとも疑ったことはありません。ちなみに、この写真に載っている人で、Uさんが撮ったもので、児童館のホームぺージに載せることを予告していた事実を知らない人といえば、パートナーのSさんなんですが、8月19日、彼は私と安曇野にいました。アリバイがある・・・。
 半年近くたった今も、U児童館のホームページの写真はまだそのままです。私のサイトもそのままです。塀の陰から石を投げて、「大きな事件」にしたかった差出人としては残念な結果だったことでしょう。ゼミ生の多くはその後U児童館に足しげく通い、卒業研究のための実践をさせてもらい、先週全員が無事に卒論を提出しました。

 ホームページに子どもたちの笑顔が溢れるU児童館、実名で自らの裁判記録も載せている私が、こんな卑怯者に屈するわけありませんよ!相手を見て行動すれば!!


先見の明

 1月12日
 きょうは朝京都を出て、音楽之友社で打ち合わせをした後、神保町にあるS.S.さんが開く歯科医院に行った。私とS.S.さんは1996年の夏に知り合った。当時彼は国家公務員共済歯科診療所に勤めていて、その年の春から富山大学の教員になり国家公務員になった私は、フトしたことから、この診療所に行けば保険対象の治療はタダになることを知って通うようになったのだ。

ファイル 167-1.jpg
右側の人がS.S.さん
LOHAS TALKより転載
http://pod.j-wave.co.jp/blog/lohastalk/2006/08/
 2度目の診察のとき、彼に普通の歯科医は持ち合わせていない知性を感じた私は「先生は東京医科歯科ですか。私はその大学を中退しているんです。」と話しかけた。予想はあたり、S.S.さんは私より6学年ほど先輩であることがわかった。それ以降、歯科医師と患者という関係以上に親しくさせてもらっていて、パートナーのSさんも母も歯の治療に通っている。
 きょう、治療が終わった後、「医科歯科の同級生だった人たちと比べて、少なくとも深見さんの今の状況は悪くない。中退したのは先見の明があったのかも。」とS.S.さんが言った。
 22歳の頃、歯科の勉強にまったく興味がもてなくて登校拒否になった私は毎日死にたいと思っていた。音楽の才能があってやり直したと思っている人が多いけれど、それは事実ではない。一期校の医科大学に落ちて二期校だった医科歯科に受かった私にとって、せっかく入った大学の勉強に向いていない、それはとても辛いことだった。道を変えようとしたとき、私には13歳か14歳の頃まで習っていたピアノしか身を立てる手段はなかった。しかも10代半ばから8年ぐらい、音楽面の成長では大事な時期が空白だ。
 25歳の春に東京芸大に入学した頃、かつての同級生たちは医師の、歯科医師の国家試験に受かって意気揚々としていた。私はまだ学部の一年生。。。。歯医者になっていれば儲かったのに・・、その後10年あまりの間、会う人、会う人に言われた。
 あれから25年経った。いつの間にか歯科医も憧れの職業ではなくなり、新内さんの話だと、今、視野の広い歯科医は自分の子弟を歯科医にはさせないらしい。上を見たらキリがないけど、私は今自分に向いた仕事をまあまあ楽しくやっている。
 決して先見の明があったのではなく、私にはもう音楽しかなくて必死だったのと、音楽面では空白だった歳月に身につけた基礎学力が役に立ったのと、少し運がよかっただけだ。
 それと比べると、私は男女の関係には先見の明があると思っている。これはまだほとんどの人には見えないようだ。見えない人にはいつまでも見えないのだろうなぁ。 


夜、天使突抜に行く

 1月11日
 夜、大学からタクシーに乗って、野村誠・林加奈宅へ。
 いつもと違う方向から行ったので道に迷った。宅急便屋さんがいたので聞いたら、「あの、音楽家の・・・」と言って案内してくれた。
 2人の家の住所は、天使突抜〇丁目。
 今度出す本のレイアウトとイラストを加奈ちゃんに頼んでいる。この本、第二稿だというのにまだガタガタ。私が担当する部分はもう昨年の夏には文章も出来ていて、内容もほぼ変えていないというのに・・・。著者のうちの一人ではなく、最初から編著者として仕切ればよかったとか、もっと違う構成にしたほうが良かったとかいろいろと思うけれど、まずは前向きに解決しようと思う。まだこの本も出来ていないのに、次に書く本について考え始めていることを加奈ちゃんに伝えた。気が早いけど、今年になってから何やらやる気になっている。
 打ち合わせを終えて、菜食主義の加奈ちゃんが作った豆腐チャーハンを食べた。私がこういう食事をするとますます痩せてしまい、内臓脂肪がついに1になるよぅ。
 そろそろ帰ろうとしたら、野村誠さんがアコーディオン奏者、大田智美さんを連れて帰ってきた。
 明日から京都芸術センターで公演があるらしい。野村さんがピアノで、太田さんがアコーディオンで、メインがダンスの山下残さん。
 http://www.tp-kac.com/KAC_TP_j_zan.html
 「アコーディオンの太田さん?」
 野村誠さんが作ったアコーディオン曲にF&Iという曲がある。私と、以前のパートナーで最高裁の裁判相手のけんかを表した曲。太田さんは何度かその曲を演奏している。
 「私がFの深見です。はじめまして。」
 「F&Iはこの間ポーランドでも初演されたんですよ」
 今年こそ聞いてみたいなぁ、F&I。