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 このノートブックは、深見友紀子が原告となった裁判・最高裁パートナー婚解消訴訟の補足説明としてスタートしました。裁判の内容を知らないと理解しにくい文章があると思いますので、興味のある方は、下記サイトまでアクセスしてくださいますようお願いします。
http://www.partner-marriage.info/

 2009年以降のノートブックは、「ワーキング・ノートブック」に移転しました。

保存のための結婚

 心理学者の小倉千加子さんは、『結婚の条件』(朝日新聞社、2003年)のなかで、現代女性の結婚意識をその学歴によって「生存・依存・保存」に分類した。

 小倉さんによれば、高校卒の女性にとって「結婚は生活財であり、結婚して初めて食べられるのである」~“生存のための結婚”
 短大卒女性と中堅以下の四大卒の女性は、「自分たちは専業主婦になるので、安心して子育てができるような給料をきちんと運んでくれることを結婚の条件としてあげる」~“依存のための結婚”
 小倉さんが調査をした四大を出て専門職として働く女性たちはこういったという。「経済力は求めない。ただ私が一生働くことを尊重して、家事に協力的な人であれば」~自分が結婚によって変わることをむしろおそれる、“保存のための結婚”

 単純すぎる分類かもしれないが、おもしろいキーワードだと思う。

 精神科医の香山リカさんは、「保存」にもふたつの種類があるのではないかという。(『結婚がこわい』 講談社、2005年)
 1つは、「仕事の内容までは知らない。でも身内だからとにかく尊重し、味方になる」という「家族的な愛により実現する保存」。もう1つは「仕事の内容まで含めて理解し、協力している」という「ビジネス・パートナー的な愛により実現する保存」。前者の代表例として、夫が彼女の書いたものを読まないという林真理子の結婚をあげている。

 実際にはこの2つの中間的な「保存」や、どちらかに少し傾いている「保存」があるだろうし、他人から見た印象と当事者の実感とに隔たりがある場合もあるだろう。

 私にとってパートナーSさんはどうなのかな。

 最近開いたクリスマス・ピアノ・パーティのプログラムはパートナーのSさんが作ってくれた(帝国ホテル東京本館地下一階の東京三田倶楽部、12月3日)。当日のカメラ係も彼だ(このプログラム、クリーム色の紙にグレーで印字したが、なかなかの出来!)。

http://www.ongakukyouiku.com/music-lab/pianoparty2005c/05c-PP.pdf

 一方、最高裁の裁判の過程では、彼は答弁書の作成にも協力してくれたし、このサイトの「コラム」と「一般の人々の反応」はアップロードする前にチェックをして意見をくれる。コラム7の最後の一文も、彼がちょっと書き直すようにアドバイスしたのだが、“私を代理母のようだと言った当人”の癇に障ったのがこの一文だったようだ。

http://www.partner-marriage.info/c7.html


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 さて、おそらく多くの人は、Sさんが私を応援するのは、私の音楽教育の仕事に関しては「ビジネス・パートナー的な愛」、最高裁・パートナー婚解消訴訟に関しては「家族的な愛」と思うだろう。本人がどう思っているかは聞いてみないとわからないし、聞いても本人もわからないかもしれないが、私としては、前者は「家族的な愛」、後者は「ビジネス・パートナー的な愛」だと感じている。

 コンピュータで設計図を描くSさんにとって、ワードでプログラムをつくることはとても簡単なことだし、建築家にとってカメラも日常的な道具である。プログラム作りやカメラ撮影は、料理の得意な人がおにぎりやケーキを差し入れるような協力であって、きわめて家族的な行為である。
 しかし、裁判については家族だから応援したのではないと思う。法律家も男女問題のジャーナリストも気づいていないことを、ひょっとしたら気づいているかもしれない私とその考え方を尊重してくれているのだと思う。
 判決が出る前から、最高裁で負けたほうが君にとってチャンスになる、と常に言っていたし、マスコミは「パートナー解消訴訟」と名づけたのに、このサイトを開設するときに「パートナー解消訴訟」ではなくて、「パートナー《婚》解消訴訟」にしたほうがいいと言ったのもSさんだった。
《婚》があるかないか、大違いだ!

 次のメールはどちらの愛かな。
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 早めに寝て、朝仕事をするようにしたらいいと思う。
 体のためにも。
 せいぜい3時だ。
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きょうは冬のボーナス日

 きょう、平成17年度の冬期ボーナスが出る。
 扶養家族がいる人には家族手当5か月分が出るが、扶養家族がいない私はゼロである。
 私の勤務する大学では、家族手当は配偶者24000円、子ども(満15歳~22歳)一人に付き12000円。専業主婦と子ども3人をもつ男性と私とを比較すると、大学が支払うお金は、年間で100万円近くも私のほうが少ない。能力が同じならば法律上独身者を雇ったほうが絶対お得よ!

 昨年のきょう、振り込まれたボーナスの額をみて驚いた。以前いた国立大学の2.5倍もあったからだ。東大助教授の瀬地山角さんが、「自分の給料が同い年の高校の先生より少ないことを知って愕然とした」と自著で書いていたが、本当に旧国立大学の給料って安いのだ。
 給料が上がった分、所得税も住民税も驚くほど増えた。私にはめぼしい控除もないので、課税対象所得金額から全額控除される「小規模企業共済」の掛け金を、それまでの月30000円から最高額の70000円にした。
 その他にどんな対策があるのかわからないままだが、働けている、その働きに対して十分な報酬が与えられている、そして私を頼りにする人たちがいることに感謝して、節税については「まっ、いいっか」と思うことにしている。

 春に契約したアリコの個人年金保険レグルス(米ドル建)は年金保険控除の対象外だった。ややこしい名称だなぁ。
http://www.alico.co.jp/an1/ahpan1/contents/top.do


香山リカVs塩野七生

 12月2日のノートブックで、香山リカさんが書いた『〈雅子さま〉はあなたと一緒に泣いている』(筑摩書房)と『結婚がこわい』(講談社)を紹介したが、斬新なタイトルがついている前者より後者のほうが中身はずっと濃い。

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 香山さんは、『結婚がこわい』のなかで女性の自立指数、非婚指数を以下の3つに分類して、今の若い女性たちは3つ目の状態に移行していると言う。
「生活レベルが下がったりやりがいを失ったりしないように、たとえ結婚はしなくても私は働く」~自立指数、非婚指数も一番高い状態
「親と同様に依存させてくれる人がいないなら、結婚しないで働く」~自立指数は低く、非婚指数は高い状態
「なんでもいいから依存をさせてくれる人と結婚するのがラク」~自立指数がさらに下がり、その結果として非婚指数だけがやや下降する状態

 香山さんは続ける。
 「社会に出るのはこわいから、たとえ生活水準が落ちてもいいから、誰かと結婚して食べさせてもらいたい」という若い女性が本当に増えているのだとしたら、それは「経済的レベルが下るぐらいなら結婚したくない」と女性が考えていた時代よりも、「不安」「恐怖」の程度がさらに増大した結果なのではないか。
 「ラクをするためなら、たとえ貧しくなっても結婚したい」という若者は、「結婚、出産は人間として自然、当然」と考える国と歩調が一致している。国としては、「ラクこそすべて」とかぎりなく依存的な若者が増加し、その結果、結婚や出産が一時的に増えることになったとしても、「非婚対策、少子化対策がうまく行った」と考えるのだろうか。結婚や出産に“逃げ込む”ラク志向の若者たちは、決して塩野七生氏が想定しているような“立派な人たち”ではないことは、リーダーたちも知っておいたほうがいいだろう。
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 塩野七生さんの提案(想定)は次のようなものである。 (2005年1月1日日経新聞少子化特集)
・子どもを持つ家庭に徹底的な経済支援をすべきだ。税金の控除のような中途半端なものでは駄目。
・キャリア面でも子持ちの人が得をする制度をつくる。
・子育てをできる女性は有能なので子どもがいる女性は企業で1階級昇進させる。
・子どもが2人以上いる社員は終身雇用を保証する。


 新聞や雑誌は、こうした状況を「女性の結婚願望が増大」[保守的な価値観の揺り戻し]「多様化する子育て支援」「女性の就労環境の改善」などと論評するだろうけど、事態はもっと複雑なはず。結婚や出産に“逃げ込む”ラク志向の若者たちに徹底的な経済支援をしたり、終身雇用を保証するなんて、あり得ます?そんな「死に銭」払う企業、どこにありますねん?


オニババになる、ならない

 香山リカさんが書いた「〈雅子さま〉はあなたと一緒に泣いている」(筑摩書房)と「結婚がこわい」(講談社)を読んだ。

 その中で、香山さんは、三砂ちづるさんの「オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す」(光文社新書 2004年)に対する不快感を書き綴っている。

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 長年、「女性の保健」について研究してきた疫学者である著書は、「女性のからだの声が忘れられている」と警鐘を鳴らす。そしてその原因を、合理性重視の近代医療と「産んでも産まなくてもあるがままの私として認めてほしい」というフェミニストたちの主張に求めようとするのだ。著者の主張は、「女性というのは、自分のからだを使って、セックスをしたり出産したりということをしていないと、自分の中の、女性としてのエネルギーの行き場がなくなる」ということに尽きる。「女性のからだの声」とはひとことで言えば「セックスと出産をしたい」ということになるようだ。「女としての性を生きたい、というからだの意思がありますから、それを抑えつけて宙ぶらりんな状態にしていると、その弊害があちこちに出て」 (中略) 、ついには「オニババになる。」
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 子どもを産んでいない香山さんが不愉快に思うのは無理ないだろう。2度の出産の度に体が丈夫になった一方で、2度目の双子出産時に死にかかった経験があり、しかも近代医療がなければ命を落としていた私は、さらに複雑な気持ちだ。「女性のからだの声」についても、子どもを産みたいという場合だって、お腹の子どもよりも自分のほうが大事という場合だってあると思う。

 香山さんは、「オニババになりたくなければ、からだのリズムを昔に戻すのではなく、女性ホルモンを投与してホルモンをコントロールしよう」という婦人科医、対馬ルリ子さんの話を引用。この意見を支持し、オニババ説に異議を唱える。

 私は、女性ホルモンが少し低下しているのを知った43歳から足掛け6年間、女性ホルモンの補充療法をしている。補充療法を受けようと思ったのは体のどこかに不調があったからではなく、「私のからだの声」による。この補充療法が私の体にもたらす効果はわからない。たとえば、今までの人生で自分の髪からみつけた白髪は10本未満であるが、それが補充の効果かどうかはわからない。同様に害もまだわからない。

 セックスをしていないとオニババになるのだろうか。しているとオニババにはならないのか。何だかアホらしい。一日ずつ確実に老けていき、オニかオニでないかは別にして、次第にババになっていくだけだ。

 「子宮を空き家にしないように」しながらどうやって知識や技術を身につけ、仕事もするかというと、三砂さんは、「20歳くらいで子どもを産んで、若い間に子どもを育て終わってしまって、本当に仕事として戦力となるときにフルに復帰したらいい」という。それに対して香山さんは現実的に現代の日本社会はそういう働き方が許されるシステムにはなっていないのに楽観的過ぎると批判する。

“若い頃の努力が一人前の仕事人にする”という当たり前のことを三砂さんは忘れていると思う。

 11月10日のノートブックで紹介した勝間知代さんのような、21歳で第一子を出産し、3人の子どもをもつビジネスウーマンもいるだろう。しかし、私の知り合いに、経済系の学部に通っていた21歳のときに第一子の出産したために就職できず、第二子、第三子と出産の度に社会から取り残されるのではないかと思い悩み、精神科に通院していた女性もいる。私が“自分の手では育てない”ことを条件に子どもを産もうと決めたのは、この女性の様子を間近で見ていたからだった。

 香山さんの分析にはさすがと思えるところがたくさんあったが、「〈雅子さま〉はあなたと一緒に泣いている」(筑摩書房)と「結婚がこわい」(講談社)の2冊にまったく同じ文章が何度も出ていることに対しては、「こんなの、あり?」と思ってしまった。20代、30代の若い世代から“ポスト上野千鶴子”になる人材を発掘し、育てようとする姿勢が今出版社には求められている。本が売れるという目先の利益だけを考える編集者たちはたぶんそのことに気づかなのだろう。


喉に注射をする?

 “ちょっとした風邪”がきっかけで、26日土曜日の夜から声が出なくなった。
 体はしんどくないので、発話をしようとして初めて自分が病人だということに気づく。
 アナウンサーなど声を使う仕事だったら致命的だが、こんな声でピアノのレッスンをしたり、私語の多いマンモス授業をするのだってつらい。
 “ちょっとした風邪”をひいたのは、23日の祭日。京都は晩秋の紅葉目当ての観光客で賑わっていた。
 夕方、四条東洞院の着物屋さんに行って、草履を買った。この日は職人さんが来ていて、その場で私の足に合うように鼻緒を調整してくれた。
 百貨店などではあり得ないサービスだし、今吟味して買うと一生使える。
 その後、河原町三条の楽器店に娘のギターアンプとエフェクターを買いに行った。娘が東京の楽器店で調べた値段より少し安かったので、取っておいてもらったのだ。
 「配送料は?」「サービスします」 
 ラッキー!!!
 幼い頃の洋服などは一年で切れなくなってしまうから、おもちゃもすぐに飽きるから勿体ないと思ったが、今出会うものはひょっとしたら人生を変えるかもしれない。
 それから、四条河原町のジュンク堂書店に行って、ジェンダーや社会学関連の本を数冊買った。
 東京のジュンク堂書店ではダメだが、この店だけ、カウンターで京都女子大の身分証明書を見せると、持ち帰れるうえに、請求は大学に行く(もちろん私の個人研究費のうちの新聞雑誌代の範囲内だが)。斬新なタイトルに惹かれて買ってはみたものの、つまらない本だったというような失敗はない。
 そして自宅に戻ると“ちょっとした風邪”をひいていることに気づいた。

 大きなマスクをしている私に「深見先生、風邪をひいたの?」とみんな声をかけてくれるのだが、答えるのもつらい。風邪をひいたのが他人にわかるぐらいひどくなったのは4年ぶりぐらいだ。隣の研究室の声楽家、松本奈美さんから、声が出るためのいろいろな療法を聞いた。
 「私は本番前に、喉に(首に)注射をしたこともあるわよ」「それで、歌えたの?」「副作用で熱が出るのだけど、ある一定時間、いつものように声は出たわ」

 闘っているのは、高橋尚子や越路吹雪や杉村春子だけではない。


“人生の一時期、違う働き方をしよう”という大号令

 子育て中の人の働き方について、企業がさまざまな工夫をしているという記事があった。

http://www.asahi.com/job/special/TKY200511160231.html

 フルタイムで働く人との不公平感を是正できたとしても、制度が作られる前に出産でやむなく退職した女性がもつ不公平感はどうするのだろう。職場での滞在時間で給料を決めるの? 50%、60%、70%・・まるで計量カップのようだなぁ。

 大学教員には仕事(研究)のほとんどを大学でやるというタイプと、大学では一切やらないタイプがいる。8月14日のノートブックで紹介した東大教授の船曳建夫さんは前者のタイプ。私は後者のタイプ。大学では授業と授業の準備、会議などの雑務しかせず、ピアノも弾かないし、本も読まない。職場での滞在時間だけで、両者の仕事量、仕事の質は比較できないと思うけどなぁ。

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新時短制度を模索する 給料も半分、仕事も半分…
 制度を利用しやすくするために、様々な改革をしている会社がある。ポイントは不公平感の是正だ。(AERA編集部・平岡妙子)
(AERA:2005年11月7日号)
 東京海上日動あんしん生命保険では、子どもが小さいうちは「仕事を半分、給料も半分」にするライフバランス社員という制度を2002年から導入している。
 勤務時間は午前10時から午後3時まで。昼食時間を除き、実働は4時間。フルタイム社員の基本は7時間だから、休日を増やすなどして労働時間が半分になるよう調整する。同時に、与えられる仕事量も半分になるよう、上司が調整。査定は与えられた半分の仕事を達成したかどうかで評価される。査定点数は減らないが、昇級ステップに差をつけて、フルタイムで働く人との不公平感を是正した。
 同社人事総務部の二村紀久江課長代理は、
 「どんな人にとっても公平だと思える制度を作るためには、ここまで思い切ったものでないと納得が得られません。育児中の女性が、何もかも捨てずに同じように働くのは難しい。ずっと頑張り続けるのではなくて、人生の一時期、違う働き方をすることも必要なのではないでしょうか」
 と言う。制度ができた当時は、
 「それでもみんなに迷惑をかけてしまうから」
 とためらう女性が多かった。二村さんが妊娠した女性と一人ひとり面談をして、
 「半分だとしても、その分きっちり働くことを会社は期待している。仕事も給料も半分と明確なので、会社も人の手当てがしやすい」
 と丁寧に説明をした。そこまでして不安を取り除くことで、この制度を使う社員が出てきた。
 「給料も半分だと、早く帰ることに後ろめたさがなくなった」
 と好評だ。
 
 雰囲気作りに上司研修
 さらに細かい制度を作っているのは高島屋だ。勤務時間が70%で給与も70%という働き方と、給与は変わらないが1日の労働時間が45分短縮、その分年間休日を減らして1年の労働時間は同じという二つの制度を、1991年に作った。その後、アンケートなどで社員の意見を聞き、時間と給与が80%、90%の選択肢も加えるなど、五つの制度に拡大した。女性社員の15%がいずれかの育児勤務制度を使っていて、男性の利用者もいる。小学校入学後も大変という声があったために、通算12年に制度を延長した。
 中川荘一郎人事政策担当課長は、
 「全体の人員が減っているので、制度があっても使いづらいムードがあるのは事実。ただ企業としては、人が入れ替わるより、経験豊かな人に勤務し続けてもらうほうが良い。取得しやすい雰囲気を作るために上司の研修もしている」
 日本IBMには、育児のほか介護や自分の体調が悪いときにも使える4種類の短時間勤務制度があり、週3日か4日勤務も選べる。時短に伴い、仕事量が60%や80%になる人は、給与も同じだけ削減される。ITエンジニアは担当プロジェクト数を減らすなど、仕事量の削減がわかりやすいが、それ以外の部門では仕事をどのように削減するか、上司が頭を抱えてしまう部署もある。そのために毎年の面談で、課題や目標設定をしっかり話し合うことが重要だ。
 労務担当の小玉道雄マネジャーは、
 「ゼロか100かという働き方ではなくて、短期間でも60や80の働き方を選べるほうがいい。仕事の割合をきちんと決めることで、上司や同僚も、育休明けの社員を受け入れやすくなる」
 
 部門ごとに選択肢を
 日本ゼネラル・エレクトリック(GE)にはフレックス、短縮勤務、一部在宅勤務などを、自分で組み合わせる「フレキシブルワークアレンジメント」制度がある。育休から復帰するときに、1日4時間、週2日しか会社に来ないスタイルを9カ月取ったあとに、通常勤務に戻った社員もいた。業績主義が徹底しているため、結果を出していれば、働き方は問われない。勤務時間の長さではなく、掲げた目標の達成を重視する会社は、少しずつだが増えてきている。
 医療経営コンサルタント会社のメディヴァは、社員17人で年商10億円を稼ぐベンチャー企業だ。会社の理念のひとつに「仕事と家族の両立」を掲げ、働き方を自由に選択できる。夜に仕事が入れば、ベビーシッター代は会社負担。子どもが熱を出したら休むのは当然で、周りがカバー。
 大石佳能子社長は言う。
 「管理者が不安になるから集まって仕事をしたがるが、かえって効率が悪くなることが多い。どこにいても仕事はできる。プライベートを大事にすることで、いい仕事ができると信じている」
 ハーバードで経営学修士(MBA)を取り、自らも小学生の子どもを育てている大石さんが効率と育児を追求した結果、学校帰りの子どもたちが会社に寄って社員に宿題を教えてもらうこともある家族経営的な雰囲気の会社になった。
 人事・人材育成を手がける「キャリアネットワーク」の河野真理子会長は、リストラで仕事量が増える一方の企業の中では、いままでの時短の制度では不公平感が出て、取得が厳しくなるばかりだと言う。
 「育児期間中は働き方を細くしながら、長く働ける制度を企業が模索する時代。会社全体というよりも部門ごとに、様々な働き方のバリエーションを作る必要があるのではないでしょうか」


東大教授と非常勤講師は紙一重

 11月17日のノートブックで、「夫婦別姓」について上野千鶴子さんと小倉千加子さんは“あほくさ~”と言っていることを書きましたが、同じ本 (「ザ・フェミニズム」) のなかで、上野さんは次のように言っています。

 「教師をやっているのは、私のなりわいなんです。おまんまの種です。資産で食えず、夫の収入で食えない私は、自分の労働で食うしかないんです。そもそも人に頭を下げるのがいやで、朝起きるのが嫌だった。ないない尽くしで、気がついたら、目の前に大学教師の道しか残っていなかった。その大学教師の道も、もしかしたら紙一重の差で、今でも相変わらず非常勤暮らしを続けていたかもしれない。今でも非常勤暮らしを続けている同世代の研究者はたくさんいらっしゃいます。彼女たちと私を分かつ違いは紙一重です。」

 29歳で大学を出てヤマハ音楽教室の先生になった私は、2年目に入ったある日、このままでは同じことの繰り返しだとフト思いました。2年目の秋、音楽教室には内緒で東京芸大の大学院を受け、合格。前例がないと言われて一度はクビになりかかりましたが、3年目は大学院生とヤマハ音楽教室の先生をやり、後半はさらに妊婦でした。
 37歳のときにたまたまバスのなかでヤマハの元専務に会ったのが転機になりました。その人が私をある国立大学の教授を紹介してくれて、翌年その教授が私を富山大学の助教授に推薦してくれたのです。
 私のように前職がヤマハ音楽教室の先生で、常勤の大学教師になれた人を私は知りません。まず、大学院に進まなければ、大学教師にはなれていなかったと思います。そして、2つのラッキーがあります。1つはバスのなかでヤマハの元専務に会ったこと。
 私は第二子である双子を出産した後、髪の毛がとても抜けるので聖母病院(新宿区落合)に光線治療に通っていました。治療のあと、新宿に買い物を行こうとしてそのバスに乗りました。産後だから髪が抜けるのは仕方がないと諦めていたなら、バスに乗っていなかったかもしれません。
 もう1つのラッキーは、その大学教授が「僕が知っているなかで、最も将来を期待できる女性です。子どもが2人いますが、東京で夫と義母が子どもの面倒をみますので、世間的な心配はご無用」と推薦文のなかで書いてくれたことです。赴任地に妻子を連れて行く男性研究者に対して、子持ちの単身赴任の女性研究者では弱いと思ったのでしょう。

 大学というところはまだまだ非競争社会です。能力の低い男の教授に限って自分の立場を脅かさないイエスマン(たいていは男です)を呼んでくるという“負の連鎖”があります。富山大学助教授になっていなければ、今の京都女子大教授もなかったと思うと、私は運がよかったです。上野千鶴子さんのような東大教授でさえも、「もしかしたら紙一重の差で・・・」と思っているのですから!


電車のなかでの化粧ってどこまで悪い

 女が車中で化粧することを批判する人が多くいます。その多くが男性です。

 時間が惜しいとき、私はマスカラをつけずに河原町のマンションを出て、大学に向かうバスの中でマスカラを塗ることがほとんどです。京都の市バスは運転が荒いですから、アイラインは無理! 
 月曜日の朝、東京から京都に向かうときはスッピンで家を出ます。起床から家を出るまで15分。名古屋までは仕事をして、名古屋を出ると化粧を始め、指輪とピアスをつけて、トイレに行き、ついでにゴミを捨てた頃、京都駅手前のトンネルにさしかかる・・・これがいつものパターンです。夜の移動のときは、トンネルを抜けるまでパソコンに夢中になり、京都で降りそこないそうになったこともあります。

 私の友人には、信号停止の間を利用して、車のなかで化粧を全部やってしまうという人もいます。その人は大学助教授と演奏家を両立させているので、新幹線のトイレで“大学の先生のスーツ”から“アーチストの普段着”に着替えるそうです。一度、タクシーの中でも着替えたらしく、乗せたときの服と違っていたので、運転手が幽霊だと思ったという伝説的な話もあり!

 「本来は自分の家や部屋の中など他人の目に触れない場所で行なうべきことを公衆の面前で行なうことは、それを目にする者を大変不快な気持ちにさせる迷惑行為である」ということらしいですが、粉が飛ぶ、匂いがする、キレイになっていく姿を見たくない、西洋人は人前では化粧をしない、日本人の恥だ・・どれも説得力がイマイチ。
 
 山手線や地下鉄の中でご飯を食べるのはダメでも新幹線でダメという人はいないでしょう。ただ単に乗っている時間が長いから、という理由なのでしょうか。
 匂いがする―名古屋味噌カツ弁当のほうが、よっぽど匂います。
 粉が飛ぶ―白いワンピースを着ているときの、隣に座る男性の新聞紙のインクも迷惑です。
 西洋人は人前では化粧をしないかもしれないけど、香水の濃度は半端じゃないですよ。以前私の家を訪ねてきたヨーロッパ人女性の香水が強くて、1日経っても残り香がありました。人前での化粧と濃い香水、どちらがより迷惑なのか、微妙ですよね。

 3年ほど前、ブラジャーの“透明付け替えヒモ”が流行りましたが、今年の夏、ブラジャーのヒモを見せるのは平気になったみたいです。イタリアに行ったとき、腹部を見せていない女の子のほうがずっと少数でした。トランクスをズボンから上に出し見せている男の子も多かったです。おっさんたちが「電車のなかでの化粧」をネタにギャルいじめをしている間にも、“公序良俗”の基準は大きく変化しているのでは?
 
 バスの中で化粧をしてキレイになっていく女に対して、「アンタはん、短い間にエライ、キレイになりはりましたなぁ~」と言える男性がもっといてもええのと違いますか。

 文化の差なのかな?


判決から一年が経った

 パートナー婚解消訴訟の判決が出てからちょうど1年経った。
 今、弁護士たちはこの判決をどのように実務に生かしているのだろう。

 「16年間も男女関係があっても、同居していなくて、経済が別だったら、法律的には赤の他人と同然ですよ」、あるいは「あの事件の原告、X女(私)は、子どもを育てていなかったから負けたのであって、育てているのなら勝てますよ」か。

 そうした判断にどれだけの確信があるのだろうか。
 
 事実婚の実践者たちの多くは、「あの事件の2人は別居で別経済、子どもも男側が育てている、変わった人たち。私たちの“事実婚”を脅かすきっかけにはならない」と胸を撫でおろしたに違いない。
 しかし、自由な関係形成を意図して婚姻を回避しているような内縁(いわゆる「選ばれた内縁」)は内縁の対象外にするという見解もあるらしい。
 http://www.partner-marriage.info/hannou_2.html 石川博康(学習院大学法学部助教授)の解説参照。
 
 「選ばれた内縁」の反対は何?
 「強要された内縁」「余儀なくさせられた内縁」なのか。
 どちらにせよ、「選ばれた内縁」のカップルはあまり楽観していてはいけないのでは? 

 共著「ザ・フェミニズム」(ちくま文庫)のなかで、「夫婦別姓」について上野千鶴子さんと小倉千加子さんは“あほくさ~”と言っているが、この事件のX女、私も、「夫婦別姓」に対して“あほくさ~”と思っていたし、今も思っている女である。だから、夫婦別姓論者とは近そうでいて、恐ろしく遠い。 

 知り合いの多くが私とパートナーSさんに「ベッセイなんですね。」と言う。

 “あほくさ~”
 
 法律家も事実婚の実践者たちでさえも、“近そうでいて、恐ろしく遠い”ことをわかっていないのではないかと思う。この事件に対する理解はそこから始まる・・・。

 まだ一周年。続く判例も当分なさそうだ。


占いの効果あり!

 小瀬泉さんというベルリン在住の占星術師の女性がいます。
 私の知っている小瀬さんは音楽家、英語の翻訳家、“別居事実婚”の実践者で、早稲田大学法学部の出身なので法律にも詳しい人。訴訟を起こそうと思ったとき最初に相談したのも彼女でした。  
 一昨年、彼女が一時帰国している間、ベルリンのアパートをパートナーのSさんと10日間使わせてもらったこともあります。

 でも彼女が占星術を生業にしていることを知ったのは今年の夏です。

 「血液型なんてたった4分類、星座もせいぜい12分類、そんなもので何がわかるの」と思っていた私が、小瀬さんの操る占星術ソフトを見て考えを変えました。彼女が泊まっていた京都の胡乱座という宿での出来事です。

 この宿は事実婚カップルがオーナー。
 http://www.uronza.com/

 
 日本人でその占星術ソフトを解読できる人は1万人程度いるらしいです。(ショパンの英雄ポロネーズを弾ける人はもっといるなぁ・・・・。)

 裁判の相手との破局は2001年5月なのに、「本当は1999年9月みたいよ」と彼女が言ったのには驚きました。7月14日のノートブック「デジタルデバイドが原因の、FとI」で書いたとおり、1999年9月にその徴候があったからです。

 私は早速一年契約で占いを依頼することにしました。
 「2006年11月までは著書や論文を書き続ける」~このことも彼女のサジェスチョンです。
 占いの内容は秘密ですが、私と娘に関する事柄のほんの一部を公開することにしましょう。
 
 お二人のコンポジット・チャートでは、太陽と金星が0度、これらが土星と120度。海王星・水星・木星がグランド・トラインを形成。知的な面では恵まれている。特に、○○さんの側では、音楽を中心とした教育の面で大きな恩恵を受けることができる。○○さんにとって母親の影響は大きく、特に芸術面での好影響が、彼女自身のキャリア形成に大きく資するだろう。

 これを読んだとき、ちょっとがっかりしました。
 なぜなら、娘は小学校4年生から中学校2年生まで私にピアノを習っていましたが、高校に入学しても再開する気配さえなかったからです。
 ところが、この夏、娘は突然ギターを始めたのです。私は6月から京都でドラムを習い始めていました。私の修士論文は「電子楽器の教育的可能性」ですから、アンプ、エフェクター・・といった相談にも乗ることができます。

 芸術≠ピアノかも! 小瀬さんの占いに出会っていなかったら、普通の母親のように「そんなことをしている暇があったら勉強しなさい」と言っていたかもしれません。

 占いの効果あり!

 16年もの間、両親が“変わったパートナー関係”を結んでいたこと、最高裁で闘ったこと、私と娘とは一緒に暮らしていないことなどを理由に、多くの人たちは「子どもがかわいそう」と言います。そういった人たちは、私たちのような極端な例だけではなく、通常の離婚家庭に対しても「子どもがかわいそう」と言うでしょう。しかし、それを言い出すと、親に経済力がない―かわいそう、資産がない―かわいそう、学歴や社会的地位がない―かわいそう、母親が働いていたら―かわいそう(父親が働いていなければ―かわいそう)、さらには、期待過剰、愛情過剰でも、親が著名であってもそれがかわいそう、ってなる・・・。

 かわいそう!!!!!!!!!!!!!!!!

 この「かわいそう」の連鎖が日本の子どもたちをどんどんひ弱にしているかもしれないことを、 “子ども思い”を自負している人たちは気づいていないと思いますよ。