記事一覧

 このノートブックは、深見友紀子が原告となった裁判・最高裁パートナー婚解消訴訟の補足説明としてスタートしました。裁判の内容を知らないと理解しにくい文章があると思いますので、興味のある方は、下記サイトまでアクセスしてくださいますようお願いします。
http://www.partner-marriage.info/

 2009年以降のノートブックは、「ワーキング・ノートブック」に移転しました。

休暇を取って仕事に集中しました!

 2月はまとまった時間がなかったので、月末から有給休暇を取り、科学研究費補助金の研究成果報告書の作成に集中することにしました。

 2月27日から取りかかって、当初の予想より速いペースで6日月曜日に仕上がり、西早稲田にある印刷屋さんで製本してもらい、8日に大学の科研担当者に手渡しました。
 「ウェブサイト音楽教育情報の有効活用に関する研究 ~第二次『音楽室』環境整備と音楽教育情報の体系化~」全132ページ。硬いですね、このタイトル。
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 最近、このノートブックをあまり更新しなかった原因の1つがなんとか完成しました。私が今回書かなければならなかったのは平成16年~17年のもの。報告書の提出は最長1年間の猶予があるものの、この3月15日がタイムリミットだったので、かなりやばかったんです。もし書かなかったら、“税金ドロボー”なのかも。

 5年前の報告書のときは、自宅のコピー機で両面コピーし、表紙用の紙とともに印刷屋さんに持参して製本してもらいました。3年前のときは、自宅のプリンタで両面プリントし、パートナーのSさんに製本してもらいました。今回は、PDFデータを渡し、紙の選定、コピー、製本の全部を印刷屋さんにやってもらいました。
 この間、同い年の友人が「そろそろお互いビジネスクラスに乗りたい歳だわね。」と言っていましたが、もし “食事なし”でエコノミーの半額だったら、私はそれを選ぶなぁ。飛行機のなかの12時間なんて、水とクッキーで十分だから。
 でも、製本に関しては、たとえ高くてもこれからもプロに任せようと思いました。仕上がりも奇麗だし、私は浮いた時間を別のことに使えるし、疲れないし。
 仕上がりが予定より2日早かったので、火曜日朝から建築探訪旅行に出かけているパートナーのSさんと昨日の夜金沢で落ち合いました。ちょっと息抜きしたので、明日からまた仕事、頑張ります。
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21世紀美術館のカフェ


ヤフーオークションの結末

 2月18日のノートブックで、ユーキャン保育士講座のテキスト、ビデオ、CDのセットをヤフーオークションで狙っていると書きましたが、結局、終了日2月22日の夕方、2000円ほどで私が入札した後、ドラムのレッスンに行っている間に入札額が高騰し、21時頃帰宅すると5000円ぐらいになってしまっていました。その間、仕事仲間、大阪のSAさんが私に代わって入札に参加してくれました。
 これまでたくさんの太鼓類をヤフーオークションで買った経験があるドラムのK先生は、「自分で価格を設定し、その額を超えたら降りる。結果的に高い買い物になることが多いよ。」と私に忠告。私にとってそれが5000円だったので、帰宅後は諦めムードになってしまいました。「値段が上がり、バカバカしいなと思っても、ネット上で自分より高値を付けた人がいると何だかむかついて、さらに高く付けてやろうという気になってしまう・・」とSAさん。オークションの魔力なんでしょう。
 このオークションは終盤5分ずつ終了時間が延長し、10時近くなって9500円で決まりました。「2時間ほど更新ボタンを押し続けて疲れたけど、おもしろい経験をしたわ」とSAさん。
 結局、翌日、同じく仕事仲間のTKさんがこのセットの平成15年度版を持っている人をみつけてくれました。

 買わなくてよかった!!

 ヤフーオークションに燃えたこの日、私の持ち込み企画が音楽之友社の役員会議で通り、GOサインが出ました。ユーキャン保育士講座のセットはこのために欲しかったのです。教員養成のテキスト、音楽事典など、音楽之友社の出版物にはこれまで何度も寄稿してきましたが、自分たちの持ち込み企画が通ったのは初めてです。SAさんとTKさんと私の共著、頑張ります。


大学院を出て15年目の春に想うこと

 昨日、モバイルハードディスクを京都のマンションのコンピュータに挿したまま、東京に戻ってきてしまった。昨日締切りの東京芸大音楽教育研究室誌に載せるエッセイのデータがその中にしかない。

 あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・。

 絶望的になったとき、パートナーのSさんにメールで送っていたことに気づいた。

 >マンションにモバイルハードディスクを置き忘れてきた。あなたに送ったのしかない。受信しているのを私に送ってほしいです。

 やっと続きを書くことができました。
 10日締切りの原稿はまだ途中です。


大学院を修了して15年目の春に想うこと

 29歳の春楽理科を卒業した私は、ヤマハ音楽教室のエレクトーン講師を経て、2年後の1988年、音楽教育研究室の修士課程に入学しました。最初に入った大学を中退したために出遅れてしまった私は、30歳を過ぎてようやく「これでやっていこう」と思える"電子鍵盤楽器"と"音楽教育学"という組み合わせをみつけたのです。今でも20代から活躍している人たちを見ると、若い大切な時期をキャリアアップに使えなかった自分の人生を悔やみ、当時の焦りが蘇ってきます。
 大学院時代は、山本文茂先生に対峙しなければならないので、電子楽器の利点をあげるのは最低限にとどめ、広い見地からの理論武装に励みました。ゼミ室の複写機で資料を大量にコピーし、山本先生の真似をして、糊付けし、本の形にして読みました。もしコンビニなどでコピーしていたら、おそらく授業料分以上の金額になっていたことでしょう。
 その頃を振り返ってまず一番に思い浮かぶ出来事は、大学院1年目の秋、第一子を妊娠したのに一向に入籍しようとしない私と相手を、山本先生が研究室に呼び出して説得しようとされたことです。日本の婚姻制度に反抗していた私は、娘を案ずる父のような眼差しの先生に対して生意気な態度をとりましたが、最後には「君を信じよう」と言ってくださいました。1991年夏、修士研究は「電子楽器の教育的可能性~メディア論からのアプローチ」として出版され、研究業績にカウントされないはずの修士論文が単著になったことによって、私は20代の遅れを少し取り返すことができたのです。
 大学院を修了した後、現在も続けている早稲田の音楽教室を主宰しながら、短大のエレクトーン科講師(非常勤)をしていた時期が5年ほどあります。その間には双子を妊娠し、3ヶ月近く身動きを許されない入院生活も経験しました。その不幸な出来事から立ち直りたいと思っていたとき、新宿区からのお見舞金約50万円(死産した1人を含む2人分)が届きました。私は自分自身を励ますために、そのお金で初めてのコンピュータMacintosh LC-Ⅲを買い、一般の人よりもかなり早くコンピュータに触れることになります。
 現在のように誰でも使えるものではなく、サポートセンターもないし、コストも高かったコンピュータは、電子楽器のケーブルをつなぐだけでも悪戦苦闘することが多かった私にさらなるストレスをもたらしましたが、このときの試行錯誤が1996年から勤務した富山大学(~2004年)での研究につながりました。「音楽はほとんど応募がないから、出せば受かるかも!」 情報教育担当の同僚たちが、コンテンツ開発助成があることを教えてくれました。「こういう風に書いたら受かる!」採択された幾つかの科研費申請書を見せてくれました。時はまさに教育の情報化計画の真っ只中。ラッキーなことに、「オンライン音楽室」(平成12年度文部科学省助成)など、私が出した申請の多くが採択されました。富山時代、科研費も3戦3勝でした。
 しかし、虚しくなることもありました。研究業績は増えても、音楽教育の学会では"刺身のつま"だったからです。コンピュータに関する研究者もほんのわずかで、いつも決まったメンバーだけ。教育工学系の学会で発表すると、発表件数200のうち、音楽は私だけということもありました。最近では、90年代に盛んに行われていた作曲用ソフトを使った授業実践も、授業時間数の削減などの影響もあってめっきり少なくなってしまい、音楽教育におけるコンピュータ活用はさらに活気がなくなり、現在に至っています。
 ところで、昨年の秋以降、音楽科の存続が危惧されていますが、情報化が教育界の大きな目標になっている今、コンピュータを活用した音楽教育実践を軽視していたのでは危機に陥っても当然であると私は思っています。ウェブ活用やe-ラーニングの可能性の追求は、和楽器や歌唱の実践研究、子どもの心理面、認知面の研究、海外の音楽教育の動向調査研究など、すべての研究に共通した課題であるはずなのに、ほとんどの研究者がMicrosoft Officeとメールだけしか使わず、たいした論拠もなく「コンピュータは子どもをダメにする」と主張しているように感じます。メディアとは本来我々のすぐそばにあるものであり、それらに対して閉じてしまったらすべてを閉じることになってしまう。しかも一旦閉じると閉じていることにさえ気づかない・・・・。悪循環です。
 1996年に夫婦別姓を含む民法改正が取りざたされたころ、久しぶりにお会いした山本先生が「深見の言っていたような方向に世の中が動いているね」とおっしゃったことがありました。私にとって夫婦別姓などは取るに足りないことで、もっとずっと先の男女の在り方を見通しているつもりでいます。でも、時代の先を行き過ぎているせいで、周りの人たちには奇人変人としか映らないようです。もっと力を認めてほしいと思いつつも、投稿という形でしかそれらについて書くチャンスがありません。一方、コンピュータについては落ちこぼれないようにするのがせいぜいで、自信など微塵もない私に音楽教育のIT化に関する論文執筆の依頼がきます。こんな私でいいのかしらと心から思います。
 音楽教育の研究者が想像力を働かせて、メディアの可能性を肯定的にとらえ始めるだけでも、実力があり、かつITにも強い若い人材が育っていくように思います。音楽教育の未来を切り拓くのは若い彼らのはずです。
 京都に来て2年が過ぎようとしている今、自分のやりたいことができる環境が少しずつ整ってきました。もうあまり若くはない私もまだまだ頑張りますよ。


受験のときの記憶がよみがえる季節

 昨日、夕方18時台の会議を忘れてしまった。
 夜、女坂を歩いていると、その会議の委員長Y先生(歌手、矢井田瞳さんのパパ)が近づいてきた。

 「深見さん、どうされたのですか。今会議終わったんですけど」
 「ひぇーー」

 20日締切の卒論指導と厚生労働省の指導調査対策などに気をとられていたせいか、2、3日前からすっかり忘れてしまっていた。

 きょうはきょうで、センター入試の事前打ち合わせ会。英語のヒヤリング試験導入のために例年以上にみんなナーバスになっている。
 29分間のヒヤリング中、再生機はストップできないので、トイレには原則として行けない。そう思っただけで私などはお腹が痛くなってくる。

 何十年経っても受験のときの記憶は消えないものだ。
・高校入試のとき、アガっていて最初の国語の試験で一分間ほど目がかすんだこと。
・京都府立医大の国語の試験で、解答を書く欄を間違えていることを試験終了間際に気づき、訂正しようとしたが間に合わなかったこと。(結果、不合格)
・国立二期校の東京医科歯科の試験で、敗者復活をかけ東京駅八重洲の地下街の薬局で最も値段の高い栄養ドリンクを買って飲んだこと。
・24歳10ヶ月で受けた共通一次試験で、後ろの受験生に「君、現役?」と言われ、惨めな気持ちになったこと。
・東京芸大のピアノの試験で、変ニ長調・変ロ短調のスケールを指定されてから30分ほど放置されたため、指遣いがだんだんと不安になり、手には脂汗がにじみ、泣きそうになったこと。

 きょうの打ち合わせ会、16時~17時45分の予定だったのに他の会議が遅れていて、16時20分にスタート。終わったのは19時だった。
 「この後予定があるので早く終わってくれないか」と少し苦言をした男性教員がいたが、もし19時に保育園にお迎えに行かなければならない教員や職員がいたらさぞかしイライラしたことだろう。

 子育てや家庭のために没頭する仕事を途中で終わらせるのもつらいが、居たくもないのに抜け出せないのはもっとつらい。


“人生の一時期、違う働き方をしよう”という大号令

 子育て中の人の働き方について、企業がさまざまな工夫をしているという記事があった。

http://www.asahi.com/job/special/TKY200511160231.html

 フルタイムで働く人との不公平感を是正できたとしても、制度が作られる前に出産でやむなく退職した女性がもつ不公平感はどうするのだろう。職場での滞在時間で給料を決めるの? 50%、60%、70%・・まるで計量カップのようだなぁ。

 大学教員には仕事(研究)のほとんどを大学でやるというタイプと、大学では一切やらないタイプがいる。8月14日のノートブックで紹介した東大教授の船曳建夫さんは前者のタイプ。私は後者のタイプ。大学では授業と授業の準備、会議などの雑務しかせず、ピアノも弾かないし、本も読まない。職場での滞在時間だけで、両者の仕事量、仕事の質は比較できないと思うけどなぁ。

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新時短制度を模索する 給料も半分、仕事も半分…
 制度を利用しやすくするために、様々な改革をしている会社がある。ポイントは不公平感の是正だ。(AERA編集部・平岡妙子)
(AERA:2005年11月7日号)
 東京海上日動あんしん生命保険では、子どもが小さいうちは「仕事を半分、給料も半分」にするライフバランス社員という制度を2002年から導入している。
 勤務時間は午前10時から午後3時まで。昼食時間を除き、実働は4時間。フルタイム社員の基本は7時間だから、休日を増やすなどして労働時間が半分になるよう調整する。同時に、与えられる仕事量も半分になるよう、上司が調整。査定は与えられた半分の仕事を達成したかどうかで評価される。査定点数は減らないが、昇級ステップに差をつけて、フルタイムで働く人との不公平感を是正した。
 同社人事総務部の二村紀久江課長代理は、
 「どんな人にとっても公平だと思える制度を作るためには、ここまで思い切ったものでないと納得が得られません。育児中の女性が、何もかも捨てずに同じように働くのは難しい。ずっと頑張り続けるのではなくて、人生の一時期、違う働き方をすることも必要なのではないでしょうか」
 と言う。制度ができた当時は、
 「それでもみんなに迷惑をかけてしまうから」
 とためらう女性が多かった。二村さんが妊娠した女性と一人ひとり面談をして、
 「半分だとしても、その分きっちり働くことを会社は期待している。仕事も給料も半分と明確なので、会社も人の手当てがしやすい」
 と丁寧に説明をした。そこまでして不安を取り除くことで、この制度を使う社員が出てきた。
 「給料も半分だと、早く帰ることに後ろめたさがなくなった」
 と好評だ。
 
 雰囲気作りに上司研修
 さらに細かい制度を作っているのは高島屋だ。勤務時間が70%で給与も70%という働き方と、給与は変わらないが1日の労働時間が45分短縮、その分年間休日を減らして1年の労働時間は同じという二つの制度を、1991年に作った。その後、アンケートなどで社員の意見を聞き、時間と給与が80%、90%の選択肢も加えるなど、五つの制度に拡大した。女性社員の15%がいずれかの育児勤務制度を使っていて、男性の利用者もいる。小学校入学後も大変という声があったために、通算12年に制度を延長した。
 中川荘一郎人事政策担当課長は、
 「全体の人員が減っているので、制度があっても使いづらいムードがあるのは事実。ただ企業としては、人が入れ替わるより、経験豊かな人に勤務し続けてもらうほうが良い。取得しやすい雰囲気を作るために上司の研修もしている」
 日本IBMには、育児のほか介護や自分の体調が悪いときにも使える4種類の短時間勤務制度があり、週3日か4日勤務も選べる。時短に伴い、仕事量が60%や80%になる人は、給与も同じだけ削減される。ITエンジニアは担当プロジェクト数を減らすなど、仕事量の削減がわかりやすいが、それ以外の部門では仕事をどのように削減するか、上司が頭を抱えてしまう部署もある。そのために毎年の面談で、課題や目標設定をしっかり話し合うことが重要だ。
 労務担当の小玉道雄マネジャーは、
 「ゼロか100かという働き方ではなくて、短期間でも60や80の働き方を選べるほうがいい。仕事の割合をきちんと決めることで、上司や同僚も、育休明けの社員を受け入れやすくなる」
 
 部門ごとに選択肢を
 日本ゼネラル・エレクトリック(GE)にはフレックス、短縮勤務、一部在宅勤務などを、自分で組み合わせる「フレキシブルワークアレンジメント」制度がある。育休から復帰するときに、1日4時間、週2日しか会社に来ないスタイルを9カ月取ったあとに、通常勤務に戻った社員もいた。業績主義が徹底しているため、結果を出していれば、働き方は問われない。勤務時間の長さではなく、掲げた目標の達成を重視する会社は、少しずつだが増えてきている。
 医療経営コンサルタント会社のメディヴァは、社員17人で年商10億円を稼ぐベンチャー企業だ。会社の理念のひとつに「仕事と家族の両立」を掲げ、働き方を自由に選択できる。夜に仕事が入れば、ベビーシッター代は会社負担。子どもが熱を出したら休むのは当然で、周りがカバー。
 大石佳能子社長は言う。
 「管理者が不安になるから集まって仕事をしたがるが、かえって効率が悪くなることが多い。どこにいても仕事はできる。プライベートを大事にすることで、いい仕事ができると信じている」
 ハーバードで経営学修士(MBA)を取り、自らも小学生の子どもを育てている大石さんが効率と育児を追求した結果、学校帰りの子どもたちが会社に寄って社員に宿題を教えてもらうこともある家族経営的な雰囲気の会社になった。
 人事・人材育成を手がける「キャリアネットワーク」の河野真理子会長は、リストラで仕事量が増える一方の企業の中では、いままでの時短の制度では不公平感が出て、取得が厳しくなるばかりだと言う。
 「育児期間中は働き方を細くしながら、長く働ける制度を企業が模索する時代。会社全体というよりも部門ごとに、様々な働き方のバリエーションを作る必要があるのではないでしょうか」


東大教授と非常勤講師は紙一重

 11月17日のノートブックで、「夫婦別姓」について上野千鶴子さんと小倉千加子さんは“あほくさ~”と言っていることを書きましたが、同じ本 (「ザ・フェミニズム」) のなかで、上野さんは次のように言っています。

 「教師をやっているのは、私のなりわいなんです。おまんまの種です。資産で食えず、夫の収入で食えない私は、自分の労働で食うしかないんです。そもそも人に頭を下げるのがいやで、朝起きるのが嫌だった。ないない尽くしで、気がついたら、目の前に大学教師の道しか残っていなかった。その大学教師の道も、もしかしたら紙一重の差で、今でも相変わらず非常勤暮らしを続けていたかもしれない。今でも非常勤暮らしを続けている同世代の研究者はたくさんいらっしゃいます。彼女たちと私を分かつ違いは紙一重です。」

 29歳で大学を出てヤマハ音楽教室の先生になった私は、2年目に入ったある日、このままでは同じことの繰り返しだとフト思いました。2年目の秋、音楽教室には内緒で東京芸大の大学院を受け、合格。前例がないと言われて一度はクビになりかかりましたが、3年目は大学院生とヤマハ音楽教室の先生をやり、後半はさらに妊婦でした。
 37歳のときにたまたまバスのなかでヤマハの元専務に会ったのが転機になりました。その人が私をある国立大学の教授を紹介してくれて、翌年その教授が私を富山大学の助教授に推薦してくれたのです。
 私のように前職がヤマハ音楽教室の先生で、常勤の大学教師になれた人を私は知りません。まず、大学院に進まなければ、大学教師にはなれていなかったと思います。そして、2つのラッキーがあります。1つはバスのなかでヤマハの元専務に会ったこと。
 私は第二子である双子を出産した後、髪の毛がとても抜けるので聖母病院(新宿区落合)に光線治療に通っていました。治療のあと、新宿に買い物を行こうとしてそのバスに乗りました。産後だから髪が抜けるのは仕方がないと諦めていたなら、バスに乗っていなかったかもしれません。
 もう1つのラッキーは、その大学教授が「僕が知っているなかで、最も将来を期待できる女性です。子どもが2人いますが、東京で夫と義母が子どもの面倒をみますので、世間的な心配はご無用」と推薦文のなかで書いてくれたことです。赴任地に妻子を連れて行く男性研究者に対して、子持ちの単身赴任の女性研究者では弱いと思ったのでしょう。

 大学というところはまだまだ非競争社会です。能力の低い男の教授に限って自分の立場を脅かさないイエスマン(たいていは男です)を呼んでくるという“負の連鎖”があります。富山大学助教授になっていなければ、今の京都女子大教授もなかったと思うと、私は運がよかったです。上野千鶴子さんのような東大教授でさえも、「もしかしたら紙一重の差で・・・」と思っているのですから!


出産によりパイプラインから外れる危険

 36歳で3人の子持ちである勝間和代さんは、大学卒業後、公認会計士兼コンサルタント→金利のトレーダー→経営コンサルタント→金融機関での調査分析をしてきたのだという。

http://www.wmstyle.jp/archives/2005/01/10_025421.php

 一方、国会議員になった佐藤ゆかりさんは、「私は証券会社で一日18時間働いてきました。日本には仕事と家庭を両立できるシステムはない」とAERAのインタビューで言っていた。

 環境の差か、資質の差か、仕事内容の差か(門外漢には、どうみても同じ経済分野の人だが)、出会った男性の差か、何かよくわからないけれど、職業人としてトップクラスの女性たちの生き方をみてもいろいろだなと思う。

 勝間和代さんは言う。
勝間さん:女性のキャリアに着目すれば、日本は人生のパイプラインシステム(どこからでもやり直せるシステム)が機能していないので、出産でパイプラインから外れるのを恐れるのは当然だと思います。よほどの自信と実績がないと失職の恐れがある。女性が出産してもパイプラインに乗り続ける道具として、「資格」「語学」「若さ」のどれかを持っていないと駄目なんでしょう。ラッキーなことに私はたまたま、出産当時から3つともあったのでパイプラインから外れずにすんだのだと思います。

「資格」「語学」「若さ」か・・。さすが経済界の人! 芸術家なら、「芸大卒」か「コンクール受賞歴」、建築家なら、「学位」か「コンペ受賞歴」だろうな。でも、東京芸大卒の芸術家には卒業以来ずっと失職している人がおおぜいいる。

勝間さん:1ヶ月に15万円は本を買います。でも、みんな、新聞・本などから、一日に2時間くらいは勉強しません?してると思うんですよ。「よくいつ寝ているの?」と聞かれますが、6時間は絶対に寝ています。本にはお金に糸目をつけませんね。アマゾンで買って、ブックオフで売るという流れができています。食費よりもずっと出費としては多いですね。

 私のパートナーSさんは、1ヶ月に7万円ぐらい建築関係の本を買っている。しかもブックオフで売るという流れではないので、研究室と自宅に本とジュンク堂のトートバッグが貯まっていく一方である。最高裁での裁判相手は、古書のコレクターだった。
 私はどんなに疲れていても、連続して6時間も眠ることはできない。

 人それぞれですね。

 「資格」「語学」「若さ」も無く、実績も無かった私が、相手が育てるという条件で子どもを産んだおかげで、出産の後でパイプラインに乗れたのである。
 第一子出産(32歳)前の私の業績は、以下のなかのたった一つだけですよ。

http://www.ongakukyouiku.com/intro.html


遺伝子が受け継がれない

 自分の年齢を実感するときがあります。
 9月の高校卒業30周年同窓会で配布された同期生の一言メモで「合併後、いわゆる定年が51歳になりました。後2年残り少ない銀行員生活です」と書いてあるのを読んだとき。20年ぶり、30年ぶりで会った同窓生たちの外見が(自分も含めて)様変わりしているよりも衝撃でした。

 定年間近の人がいるかと思えば、私の親友に、昨年48歳で初めて大学の助教授になった女性がいます。彼女は、主婦と研究を両立させて、そのうちその研究の部分が認められたという“よくあるパターン”ではなく、これまで独身。大学教員を10年もやってちょっとくたびれてきた私とは違って、今、新入社員のようにフレッシュです。「女性は35歳が転職リミット、40歳以上は絶望的」といった“週刊誌っぽい”定説は当てはまりません。

 彼女が勤める大学の定年が仮に65歳だとしたら、定年まで勤めたとして勤続年数は17年。22歳から銀行員をしている人はもうすでに今年勤続年数27年目。大学教員の寿命が長いのでは決してなく、後倒しになっているだけなのです。
 私のように25歳で大学をやり通し、社会に出てから大学院に戻り、34歳で修了したような超回り道人間ではなく、ほとんどブランクなく進んでいても、気がつくと30歳、ちょっと欲を出せば35歳になってしまい、出産適齢期があっという間に過ぎていくのです。
 それぞれの人生です。でも、彼女たちの遺伝子は受け継がれません。ほとんどの人は勝間和代さんのようなある意味攻撃的なパワーはもっていないですから・・。もったいないです。

http://www.wmstyle.jp/archives/2005/01/10_025421.php


居場所がない・・・

 科学研究費補助金の申請書を先週の火曜日25日に大学に提出してから、事務の人たちが綿密にチェック。たくさんの間違い箇所を発見してくれて、結局修正作業は木曜日の午後までかかりました。だいたい形式的な間違いでしたが、一箇所、370万円を370円と書いてしまっていました(笑)。審査結果発表の来年4月中旬。私は科研に関しては4戦3勝。昨年落ちたので今度は受かりたいです。

 金曜日、日本音楽教育学会のために沖縄に向かいました。土曜日は司会、日曜日は自分の発表。

 沖縄は“海外”ですね。海外旅行から戻ってきたときのように随分くたびれています。学会が終わってから飛行機の出発時間まで間があったので足裏マッサージに行きましたが、あちこち痛かったです。いつもはどんなに強く押されてもビクともしないのですけど。

 発表前の打ち合わせで、せっかくパワーポイントのスライドに動画も数枚貼りこんでいったのに、会場の教室のAV機器ではパソコンからの音声出力ができず、ケーブルをつなぎ変えたりしてもダメで、私のノートパソコンのスピーカーにマイクを近づけて音を拾う羽目に。

 「しょぼい音になってしまう」と思っただけで、私の発表へのモティベーションはへこみ、なんだか無表情に淡々と喋って終わってしまいました。パソコン室などからDTM用の小さなスピーカーでも持ってきてくれるとちょっとマシなのに。前日、司会をした教室の設営係の人は非常に細やかだったので安心していたのですが、ここの人は「スピーカーにマイクを近づけて拾えばいいでしょ」という雰囲気でした。

 現在、研究発表、「ネットワーク型学習コンテンツの現状と課題―教育情報ナショナルセンターが提供する日本音楽関連素材の分析を通じて―」のプレゼンのパワーポイントの動画を私のホームページにアップロードしています。http://www.ongakukyouiku.com/2005_10_30/2005_10_30.files/frame.htm 
 文楽の太夫の語り、なかなかですよ。40メガもあるので、そのうち削除しますが、時間があったら聴いてください。

 4年前、ウィンドウズXPが発売された翌月の日本教育工学会では、半分以上の発表者が発売されて間もないまだ不安定なOSを使っていて、「ウィンドウズ2000では恥ずかしいでしょ」という雰囲気でした。当時、私の研究室にはコンピュータにとても強い男子大学生がいて、出始めたばかりだった赤外線のマウスで遠隔操作をしてくれましたが、私はそのあたりににいた男の研究発表者たちに、「そんなに新しいOSにこだわるぐらいなら、ネクタイにもこだわれよ」と思ったのを憶えています。昨日は、「こちらの黒いスカートで代用してください」と言われた感じでした。

 どちらも嫌だな・・。

 今回の日本音楽教育学会ではインターネットに関する研究発表は私だけ。日本教育工学会に行くと、音楽関係が私だけ。いつも居場所がありません。

 子育ては最終的に自分の役割だという前提を崩さず、仕事を諦める女性たち、死に物狂いで家庭と仕事を両立しようと思う女性たち、仕事だけに邁進と思う女性たちの間で、仕事と恋愛に邁進し、子どもは相手の男性に育ててもらうことを条件に子どもを産んだ私に居場所がないのと同じかな・・。

 さて、次の指導要領の改訂で公立学校の音楽の授業がさらに削減されるのではないかと噂されています。削減阻止をお願いする文部科学大臣への嘆願書への署名がまわってきましたが、私は署名しませんでした。そこに書かれてあった、「音楽の授業が必要」という根拠が弱かったのと、文部科学省が「教育の情報化」を推進しているのに、音楽教育の関係者がそれを無視してきたことも原因の1つであるはずなのに、それにはまったく無自覚だと感じたからです。

 きょうの夜、あるメーカーから、「演奏を録画し、バーコード化して保存する」未発売の装置を大学にモニターで貸してもらいました。
 当分の間、居場所がなくてもこのまま淡々とやっていくつもりです。

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科研が書けた!

 昨夕、科学研究費補助金の申請書が完成し、大学に提出しました。23日日曜日の午後には一時諦めかけていたのに、夕方から書き始め、48時間でワード13枚の計画調書と申請用紙2枚。共同研究者になってくれた名古屋女子大のKさん、長岡技術科学大学のNさん、大阪教育大学のTさん、書式などの修正をしてくれたパートナーのSさんに感謝です。

http://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/index.html

 人間って、追い込まれたときにいろいろと考えるものですね。22日からの4日間を振り返って、またあらためてこのノートブックを書いていこうと思います。

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[fukami-lab05:00125] 深見より ( 笑) 非常事態宣言
Mon, 24 Oct 2005 21:46:35 +0900

 深見です。昨日、少々諦めかけていた科研費という研究費の申請を、やっぱりやるぞ、と思って、学内の締切を一日延ばし明日火曜日の17時にしてもらいました。明日の12時~17時の間、研究室のパソコン前にいる私に、みんなシカトしてください。とにかく17時までっ!と思って頑張ります。もちろん、その時間、研究室に出入りしてもいいよ。