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 このノートブックは、深見友紀子が原告となった裁判・最高裁パートナー婚解消訴訟の補足説明としてスタートしました。裁判の内容を知らないと理解しにくい文章があると思いますので、興味のある方は、下記サイトまでアクセスしてくださいますようお願いします。
http://www.partner-marriage.info/

大学院を出て15年目の春に想うこと

 昨日、モバイルハードディスクを京都のマンションのコンピュータに挿したまま、東京に戻ってきてしまった。昨日締切りの東京芸大音楽教育研究室誌に載せるエッセイのデータがその中にしかない。

 あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・。

 絶望的になったとき、パートナーのSさんにメールで送っていたことに気づいた。

 >マンションにモバイルハードディスクを置き忘れてきた。あなたに送ったのしかない。受信しているのを私に送ってほしいです。

 やっと続きを書くことができました。
 10日締切りの原稿はまだ途中です。


大学院を修了して15年目の春に想うこと

 29歳の春楽理科を卒業した私は、ヤマハ音楽教室のエレクトーン講師を経て、2年後の1988年、音楽教育研究室の修士課程に入学しました。最初に入った大学を中退したために出遅れてしまった私は、30歳を過ぎてようやく「これでやっていこう」と思える"電子鍵盤楽器"と"音楽教育学"という組み合わせをみつけたのです。今でも20代から活躍している人たちを見ると、若い大切な時期をキャリアアップに使えなかった自分の人生を悔やみ、当時の焦りが蘇ってきます。
 大学院時代は、山本文茂先生に対峙しなければならないので、電子楽器の利点をあげるのは最低限にとどめ、広い見地からの理論武装に励みました。ゼミ室の複写機で資料を大量にコピーし、山本先生の真似をして、糊付けし、本の形にして読みました。もしコンビニなどでコピーしていたら、おそらく授業料分以上の金額になっていたことでしょう。
 その頃を振り返ってまず一番に思い浮かぶ出来事は、大学院1年目の秋、第一子を妊娠したのに一向に入籍しようとしない私と相手を、山本先生が研究室に呼び出して説得しようとされたことです。日本の婚姻制度に反抗していた私は、娘を案ずる父のような眼差しの先生に対して生意気な態度をとりましたが、最後には「君を信じよう」と言ってくださいました。1991年夏、修士研究は「電子楽器の教育的可能性~メディア論からのアプローチ」として出版され、研究業績にカウントされないはずの修士論文が単著になったことによって、私は20代の遅れを少し取り返すことができたのです。
 大学院を修了した後、現在も続けている早稲田の音楽教室を主宰しながら、短大のエレクトーン科講師(非常勤)をしていた時期が5年ほどあります。その間には双子を妊娠し、3ヶ月近く身動きを許されない入院生活も経験しました。その不幸な出来事から立ち直りたいと思っていたとき、新宿区からのお見舞金約50万円(死産した1人を含む2人分)が届きました。私は自分自身を励ますために、そのお金で初めてのコンピュータMacintosh LC-Ⅲを買い、一般の人よりもかなり早くコンピュータに触れることになります。
 現在のように誰でも使えるものではなく、サポートセンターもないし、コストも高かったコンピュータは、電子楽器のケーブルをつなぐだけでも悪戦苦闘することが多かった私にさらなるストレスをもたらしましたが、このときの試行錯誤が1996年から勤務した富山大学(~2004年)での研究につながりました。「音楽はほとんど応募がないから、出せば受かるかも!」 情報教育担当の同僚たちが、コンテンツ開発助成があることを教えてくれました。「こういう風に書いたら受かる!」採択された幾つかの科研費申請書を見せてくれました。時はまさに教育の情報化計画の真っ只中。ラッキーなことに、「オンライン音楽室」(平成12年度文部科学省助成)など、私が出した申請の多くが採択されました。富山時代、科研費も3戦3勝でした。
 しかし、虚しくなることもありました。研究業績は増えても、音楽教育の学会では"刺身のつま"だったからです。コンピュータに関する研究者もほんのわずかで、いつも決まったメンバーだけ。教育工学系の学会で発表すると、発表件数200のうち、音楽は私だけということもありました。最近では、90年代に盛んに行われていた作曲用ソフトを使った授業実践も、授業時間数の削減などの影響もあってめっきり少なくなってしまい、音楽教育におけるコンピュータ活用はさらに活気がなくなり、現在に至っています。
 ところで、昨年の秋以降、音楽科の存続が危惧されていますが、情報化が教育界の大きな目標になっている今、コンピュータを活用した音楽教育実践を軽視していたのでは危機に陥っても当然であると私は思っています。ウェブ活用やe-ラーニングの可能性の追求は、和楽器や歌唱の実践研究、子どもの心理面、認知面の研究、海外の音楽教育の動向調査研究など、すべての研究に共通した課題であるはずなのに、ほとんどの研究者がMicrosoft Officeとメールだけしか使わず、たいした論拠もなく「コンピュータは子どもをダメにする」と主張しているように感じます。メディアとは本来我々のすぐそばにあるものであり、それらに対して閉じてしまったらすべてを閉じることになってしまう。しかも一旦閉じると閉じていることにさえ気づかない・・・・。悪循環です。
 1996年に夫婦別姓を含む民法改正が取りざたされたころ、久しぶりにお会いした山本先生が「深見の言っていたような方向に世の中が動いているね」とおっしゃったことがありました。私にとって夫婦別姓などは取るに足りないことで、もっとずっと先の男女の在り方を見通しているつもりでいます。でも、時代の先を行き過ぎているせいで、周りの人たちには奇人変人としか映らないようです。もっと力を認めてほしいと思いつつも、投稿という形でしかそれらについて書くチャンスがありません。一方、コンピュータについては落ちこぼれないようにするのがせいぜいで、自信など微塵もない私に音楽教育のIT化に関する論文執筆の依頼がきます。こんな私でいいのかしらと心から思います。
 音楽教育の研究者が想像力を働かせて、メディアの可能性を肯定的にとらえ始めるだけでも、実力があり、かつITにも強い若い人材が育っていくように思います。音楽教育の未来を切り拓くのは若い彼らのはずです。
 京都に来て2年が過ぎようとしている今、自分のやりたいことができる環境が少しずつ整ってきました。もうあまり若くはない私もまだまだ頑張りますよ。


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