記事一覧

 このノートブックは、深見友紀子が原告となった裁判・最高裁パートナー婚解消訴訟の補足説明としてスタートしました。裁判の内容を知らないと理解しにくい文章があると思いますので、興味のある方は、下記サイトまでアクセスしてくださいますようお願いします。
http://www.partner-marriage.info/

 2009年以降のノートブックは、「ワーキング・ノートブック」に移転しました。

ほんまにお粗末、読売社説

 少子化でグーグル検索をし、次の記事をみつけました。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060104ig90.htm

 この社説、何を言いたいのかさっぱりわかりませんでした。どこまでがこの社説を書いた人の見解なのか、「教育改革国民会議」の報告書に記載されていることなのかもわからなかったです。

「大家族が多く、濃密な交流が地域にあった時代には、さまざまな大人が子育てにかかわった。核家族化が進むなどし、子どもと接する時間が短くなるにつれ、親は「人生最初の教師」たる責務を果たせなくなった。」~この文章、変ですよ。
 
 1.核家族化が進み、親は自身の子どもの子育てで手一杯になった結果、地域に住む他の子どもの面倒までみる余裕がなくなったのか。
 2.核家族化に長時間労働が加わり、親は自身の子どもの子育ても十分にできなくなったのか。
 3.大家族でさまざまな大人が子育てにかかわっていたその昔、親は「人生最初の教師」だったというのは正しいのか。
 4.大家族でさまざまな大人が子育てにかかわっていたその昔、他の大人がその子どもにとって「人生最初の教師」だった可能性はないのか。
 5.大家族でさまざまな大人が子育てにかかわっていたからこそ、親は「人生最初の教師」たる責務を果たせたのではないのか。

 こういう風に考えること、できませんか。なんだか学生に卒論指導をしているみたいになってきました(笑)。

 新聞社の方々が若者の学力低下を嘆くのは、年寄りが「今の若いモンは!」というのと同じです。今の若いモンでも、もっとちゃんとした文章を書ける人材がゴロゴロいるはず。今大事なのは彼らにチャンスをあげることだと思います。

-----------------------------------------------
1月5日付・読売社説
 [転機を迎えて]「少子時代のリーダー育てよ…道徳心と教師力向上を」
 【大学全入時代の到来】
 人口減、少子化の進展は教育の有り様まで変える。
 文部科学省は、2007年度には大学の全志願者数と、大学が受け入れ可能な入学者総数が一致する、とみている。あと1年で、数字上は希望者全員が大学に入れる「全入時代」が到来する。
 05年度、私立大の3割に当たる160大学が定員割れした。山口県の萩国際大のように経営破綻(はたん)したところもある。
 懸念されるのは、不安定な経営に起因する高等教育機関の質の低下だ。教育と研究、どちらが劣化しても大学に対する評価は低下し、ますます学生は集まりにくくなる。
 生き残りをかけて、安易な入試、多数の留学生依存などに走る大学もある。大学本来の機能に磨きをかけられないのなら、淘汰(とうた)もやむを得まい。健全な競争的環境の中で大学の個性化、特色化を進めねばならない。
 人口は国力だとも言える。「超少子化国」となった日本が、今後も活力を維持し、国際競争を勝ち抜くためには、世界の最先端で活躍できる研究者と、幅広い分野におけるリーダー的人材を育成することが肝要だ。
 読み返したいのが、首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」が00年暮れにまとめた最終報告書である。
 報告書は、戦後教育の平等主義を、「他人と同じことを良しとする風潮は、新しい価値を創造し、社会を牽引(けんいん)するリーダーの輩出を妨げ」てきたと省みる。
 必要なのは、政治、経済、環境、科学技術などの分野で「社会が求めるリーダーを育て、認め、支える社会を実現する」ことだ。決して知識偏重の教育によるエリートを求めているのではない。ルールや道徳無視の為政者や経営者もまた、報告書の“想定外”と言える。
 個々の資質や才能を生かし伸ばせるような初等中等教育、入試改革に加え、高い専門性と教養を併せ持った人材をつくり出す大学・大学院改革が必要だ。
 報告書は、こう提言した。高校卒業を待たずとも優秀なら「飛び入学」で大学に入れよ。3年修了段階で大学院に進めるように。博士号も最短3年で取れるようにせよ――。
 飛び入学は、昨春の入試で5大学が募集し、千葉大など2大学に10人が入学した。今春は6大学に募集も増える。大学院への飛び入学も一昨年度、38の大学で170人の実績をつくっている。
 【豊かな社会性と人間性】
 「創造力、自発性と勇気、苦しみに耐える力、他人への思いやり、自制心を失っている」。当時、報告書が憂えた教育の実態、日本人像は5年後の今も、さほど改善されてはいない。
 教育の原点は家庭にあることを自覚せよ。学校は「道徳」を教えることをためらうな――報告書はそう直言した。
 大家族が多く、濃密な交流が地域にあった時代には、さまざまな大人が子育てにかかわった。核家族化が進むなどし、子どもと接する時間が短くなるにつれ、親は「人生最初の教師」たる責務を果たせなくなった。
 家庭は安らぎの場であると同時に、厳しいしつけの場でもあるはずだ。子どもに豊かな人間性を植え付ける責務は家庭にある。「家庭力」を立て直したい。
 一方の道徳教育は、日本教職員組合などいわゆる“進歩的”勢力からの攻撃にさらされてきた。「戦前の『修身』の復活だ」「心の統制だ」などとイデオロギー論争の的にされた。
 学習指導要領では年35時間と、標準時数が決められている。それを達成しているのは8割の小学校、6割の中学にとどまっている。道徳の副読本や資料、指導方法を充実させて、子どもの正しい自我を形成しなければならない。
 子どもの「学力」は、5年前よりさらに後退している。教職の「権威」も低下している。戦前の師範学校のような教師養成機関待望論すら聞かれる背景には、高い指導力に裏打ちされた、かつての教師の威厳への、憧憬(しょうけい)があろう。
 大学の教授陣も含め、「教師力」の立て直しも、優秀なリーダーの輩出、人間性豊かな日本人育成に欠かせない。
 【教師も「威厳」取り戻せ】
 「博士の愛した数式」という映画が今月封切りになる。小川洋子氏の小説が原作だ。記憶が80分しかもたない数学者から、通いの家政婦と、「ルート(√)」とあだ名されたその息子が数学の真の面白さ、奥深さを教えられる。
 「ルート」は成長して数学の教師となり、赴任校で初授業する。原作にはないシーンだが、博士の思い出を語りながら、「わかる授業」「興味をひく授業」が展開されていく。
 終業ベルが鳴る。その時、自然と生徒の口をつく感謝の言葉――人に教えることの神髄を見るようで胸が熱くなる。
(2006年1月5日1時37分 読売新聞)