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 このノートブックは、深見友紀子が原告となった裁判・最高裁パートナー婚解消訴訟の補足説明としてスタートしました。裁判の内容を知らないと理解しにくい文章があると思いますので、興味のある方は、下記サイトまでアクセスしてくださいますようお願いします。
http://www.partner-marriage.info/

 2009年以降のノートブックは、「ワーキング・ノートブック」に移転しました。

3人のおひとりさま

 1月1日
 母の家で、母と妹と新年の食事をしました。同じ東京に住んでいても、妹に会うのは半年ぶりぐらい。2006年12月に父が亡くなったので、この一年は多く会いましたが、それまでは元旦の食事会のみでした。
 父が亡くなる前は、親世帯1つと独身娘それぞれの単身世帯2つという構成だったのに、父が亡くなって、70代、50代、40代の独身女性世帯が3つになりました。「お寂しいでしょうに・・と私たちのことを思っている人がいるよ」と私が言うと、「大きなお世話やわ」と2人。それどころか、単身世帯といってもパートナーのSさんと同居している私に、「煩わ(わずらわ)しくない?」と口を揃えて言います。専業主婦だった母は他人と同居することが煩わしいかを考える余地もなかったはずなのにどういうことなんでしょう。
 29歳の春にようやく大学を出た私は、30代の頃は先の見通しもなくて力を蓄積しなければならなかったため、確かに家族やパートナーと同居するのは煩わしいと思っていました。ちょっと心に余裕が出てきた40半ばに出会ったから一緒にいれるのだと思いますが、料理もまったくしない私が、それでも一日に一度ぐらいは煩わしいと思います!!
 
 70代、50代、40代の独身女性が「大きなお世話やわ」と堂々と言えるようになったのは、ほんのこの数年の変化です。これまでは家族とは、寄り添って生きることが1番幸せだという価値観が正しくて、「大きなお世話やわ」という人たちは変人たちだと片付けられていましたから。でも、私の母は、上野千鶴子さんが描くものとはまったく違うところで、「おひとりさま」を生きています。
 
 『おひとりさまの老後』(上野千鶴子、法研)
 高齢者同居率には、実は経済格差がある。下層では、同居したくでも子どものほうにその余裕がない“姥捨て別居”、上層では同居できるだけのゆとりはあるが、あえて別居を選ぶ“選択別居”、これに対して中層では、親を見捨てるにはしのびないが、二世帯を維持するだけのゆとりまではない“しぶしぶ同居”と解釈することができるだろう。もし二世帯を維持できるだけの経済力があれば、親のほうでもすすんで別居を選ぶだろうことは、皇室をみてもわかる(p.21)。「おひとりさま」を選ぶことは、ソリチュード(solitude)の楽しみを選ぶこと。居場所とは「ひとりっきりでいても淋しくない場所」のこと(p.131)。

--------------アマゾン書評から---------------

・結局彼女は「フェミニズム」じゃなくって、単なる富裕層の一人であっただけ。
・シングルのカリスマ的存在である著者が、結局は自分と同じ強い女性の方しか見ていない事がバレてしまった作品。
・自立を勧めておいて、結局巧く行かなかった方に対しては知らん振りでは、無責任過ぎるだろう。
・“馬脚を現す”とはこの事で、フェミニズムを標榜しながら、肝心な点では自身と同じ独立した強くて経済力のある女性にしか目が行かない著者の偏狭な面が露骨に出た一作。
・何もかも自分で切り開き、自己決定し、多くのカネも友人もあるシングルの女性にしか通用しないような気もする。そんなひとはシングル女性の1割もいるのかしらん。 その意味では、一般シングル女性は、『老後がこわい』(香山リカ)のほうが身近に感じるのでは。
・大学教授以外の人が書いたら、自費出版行きですね。
・上野千鶴子って、こんなレベル?っていいたくなりますね。 先頭に立つ人はもっともっと進まないといけません。