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 このノートブックは、深見友紀子が原告となった裁判・最高裁パートナー婚解消訴訟の補足説明としてスタートしました。裁判の内容を知らないと理解しにくい文章があると思いますので、興味のある方は、下記サイトまでアクセスしてくださいますようお願いします。
http://www.partner-marriage.info/

 2009年以降のノートブックは、「ワーキング・ノートブック」に移転しました。

子育て・女性支援策続々・・

 新年、さまざまな子育て・女性支援策が出てきたようだ。
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○3歳まで育児手当、6歳児まで医療費無料検討
 政府は4日、少子化対策の一環として、3歳までの子どもを持つ保護者を対象とする育児手当制度を新設し、さらに6歳児までの医療費を全額無料化する方向で検討に入った。育児手当は月額1万5000円を軸に調整する方針。経済力の低い若年夫婦層に重点を置き、財政支援により少子化に歯止めをかけたい考えとみられる。
(毎日新聞) - 1月5日3時6分更新
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 多くの人が指摘しているように、本当にお金がかかるのは子どもが高校生・大学生の頃なのに、未就学児童にばかり手厚くするのは、「とにかく産んでもらう」「後は自己責任でどうぞ」という姿勢ではないかと疑ってかかりたくなる。
 実家があるので毎年お正月はハワイで迎える友人が、今年のお正月は日本人観光客がとても多いと言っていた。日本のセールだってすごい人出だ。
 月額1万5000円、年額18万円、ハワイ家族旅行などに使う若年夫婦が多くなるだけかも!

 もう一つは、女性研究者支援策。
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○出産や育児で活動中断、女性研究者の復帰に奨励金
 政府は、出産や育児で研究活動を中断した女性研究者らの現場復帰を支援する「特別研究員復帰支援事業」を創設する。
 研究者本人に毎月約36万円の研究奨励金と年間150万円までの研究費を支給する。2006年度中に30人を選んで支援を開始する方針だ。
 対象は、博士課程修了程度で、出産や子育てのため研究活動を中断した研究者。大学や大学院のほか、独立行政法人など公的研究機関への復帰を希望する人について、研究中断前の実績などを基準に選考する。支援期間は最長で2年間。
 (中略)政府の男女共同参画白書などによれば、女性研究者の6割以上の人が「出産・育児・介護などで研究の継続が困難」と感じている。大学や研究機関の研究者の採用では、直近の実績が重視されることが多く、育児などで数年間のブランクがある女性研究者の再雇用には不利な状況がある。(以下略)
(読売新聞) - 1月3日18時29分更新
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 この施策、無いよりは有ったほうがいいけれど、女性の能力を尊重したというよりもむしろ、研究を中断した先輩を見て、次の世代の女性研究者が子どもを産まなくなるのを心配して考え出されたような気がしてならないし、記事を書いたジャーナリストたちは、応募書類を作成するには論文1本書くより多くのエネルギーが要ることを知っているのかなと思ってしまった。 


名誉教授は給料が高い教授?

 きょうは一日自宅マンションにいて仕事をした。
 仕事の合間、林道義さんのホームページを見た。
 http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/
 林さんたちが母性本能を強調すればするほど、日本の女性たちはひいてしまうよ、と思った。
 厚生労働相の私的諮問機関「少子化社会を考える懇談会」の委員であり、文部科学省の審議会の座長・大日向雅美氏のことを“「母性研究のために」自分の子供が乳幼児のときに両親にあずけて、自分では子供を育てなかった人間である”と彼は批判している。

 専業主婦の出現以降の、しかも日本の歴史しか見ていないように思った。
 何歳までを“子ども”とみなしているのかな。
 あらゆるところで崩壊している現実をみて、「結婚」制度そのものがおかしいと感じたことはないのかな。
 大学安泰時代に名門女子大の教授をして定年を迎えた林さんには、男だけの稼ぎでは立ち行かなくなっている家庭が多くなっている日本の現状がわからないのではないかな。
 
 彼が勤めていた東京女子大では、子どものいる女性教授は子どもが小さい間は完全休業していたのだろうか。あるいは子どもがいない人ばかりなのだろうか。

 そんなに「名誉教授」の称号って大切かな。私の勤めている京都女子大では、勤続20年だか25年が名誉教授の条件なので、昨年移ってきた私など仮に定年まで勤めても名誉教授になれない。

 娘が小学生の頃、助教授(ジョキョウギュ)を女教授(ジョキョウギュ)と思っていたことがあった。
「おんなの教授じゃないんだ。わかったけど、一体誰を助けるの?」
「!?!?!?!?!?!?」
 ついこの間まで、名誉教授は“教授より給料が高い教授”と誤解していた。

 林さん、ギャルと付き合えば、少しは心が広くなると思います。


大沢真理さんの基調講演

 今週末は東京でのレッスンをお休みにして京都にいる。
 レッスンが休みの週末はたまった仕事を片付ける絶好のチャンスなのだが、東京大学教授の大沢真理さんの基調講演があるというのを聞いて、京都女子大学現代社会研究科修士課程完成記念シンポジウム「―新しい公共圏をめざして―男女共同参画社会のNEXT STAGE―」に行ってきた。

 300名以上の学生のうち、3分の1は熱心に聞いている。後の3分の1は静かに座っている。残りの3分の1はまったく聞いていない。これはいつもの授業でも同じ。
 聞く気がない学生たちは後ろのほうに座る。これも同じ。聞く気がない=居眠りしている、ではない。これも同じ。
 自分が授業をしているときはわからないが、きょうは最後尾の座席に座ったので、聞く気がない学生たちを目の当たりに観察することができた。
 携帯メールは序の口(私だって会議が長引いて来客を待たせているときなどに利用する。)。鏡を机の上に置いて化粧している(というよりも、のんびりと自分の顔を眺めている(笑))。髪の毛にカーラーを巻いている子が二人並んで座っている。教室後方のコンセントで携帯電話を充電している。隣同士ではなく、5人ほどのグループによる私語・・・。

 「近年、非正規雇用が増加している。特に若者と女性に顕著」と大沢さんが話したとき、「あんたらの問題なんよ」と、髪の毛にカーラーをして私語をしている学生たちについ言いたくなったが、私が雇用主だったら、非正規ではもちろん、たとえ無給でも彼女たちを採用しないだろうなと思った。

 偏差値によって学力はある程度均一化するはずなのに、同じ大学の学生の間でも意欲の格差は驚くほど大きい。


保存のための結婚

 心理学者の小倉千加子さんは、『結婚の条件』(朝日新聞社、2003年)のなかで、現代女性の結婚意識をその学歴によって「生存・依存・保存」に分類した。

 小倉さんによれば、高校卒の女性にとって「結婚は生活財であり、結婚して初めて食べられるのである」~“生存のための結婚”
 短大卒女性と中堅以下の四大卒の女性は、「自分たちは専業主婦になるので、安心して子育てができるような給料をきちんと運んでくれることを結婚の条件としてあげる」~“依存のための結婚”
 小倉さんが調査をした四大を出て専門職として働く女性たちはこういったという。「経済力は求めない。ただ私が一生働くことを尊重して、家事に協力的な人であれば」~自分が結婚によって変わることをむしろおそれる、“保存のための結婚”

 単純すぎる分類かもしれないが、おもしろいキーワードだと思う。

 精神科医の香山リカさんは、「保存」にもふたつの種類があるのではないかという。(『結婚がこわい』 講談社、2005年)
 1つは、「仕事の内容までは知らない。でも身内だからとにかく尊重し、味方になる」という「家族的な愛により実現する保存」。もう1つは「仕事の内容まで含めて理解し、協力している」という「ビジネス・パートナー的な愛により実現する保存」。前者の代表例として、夫が彼女の書いたものを読まないという林真理子の結婚をあげている。

 実際にはこの2つの中間的な「保存」や、どちらかに少し傾いている「保存」があるだろうし、他人から見た印象と当事者の実感とに隔たりがある場合もあるだろう。

 私にとってパートナーSさんはどうなのかな。

 最近開いたクリスマス・ピアノ・パーティのプログラムはパートナーのSさんが作ってくれた(帝国ホテル東京本館地下一階の東京三田倶楽部、12月3日)。当日のカメラ係も彼だ(このプログラム、クリーム色の紙にグレーで印字したが、なかなかの出来!)。

http://www.ongakukyouiku.com/music-lab/pianoparty2005c/05c-PP.pdf

 一方、最高裁の裁判の過程では、彼は答弁書の作成にも協力してくれたし、このサイトの「コラム」と「一般の人々の反応」はアップロードする前にチェックをして意見をくれる。コラム7の最後の一文も、彼がちょっと書き直すようにアドバイスしたのだが、“私を代理母のようだと言った当人”の癇に障ったのがこの一文だったようだ。

http://www.partner-marriage.info/c7.html


ファイル 65-1.jpg


 さて、おそらく多くの人は、Sさんが私を応援するのは、私の音楽教育の仕事に関しては「ビジネス・パートナー的な愛」、最高裁・パートナー婚解消訴訟に関しては「家族的な愛」と思うだろう。本人がどう思っているかは聞いてみないとわからないし、聞いても本人もわからないかもしれないが、私としては、前者は「家族的な愛」、後者は「ビジネス・パートナー的な愛」だと感じている。

 コンピュータで設計図を描くSさんにとって、ワードでプログラムをつくることはとても簡単なことだし、建築家にとってカメラも日常的な道具である。プログラム作りやカメラ撮影は、料理の得意な人がおにぎりやケーキを差し入れるような協力であって、きわめて家族的な行為である。
 しかし、裁判については家族だから応援したのではないと思う。法律家も男女問題のジャーナリストも気づいていないことを、ひょっとしたら気づいているかもしれない私とその考え方を尊重してくれているのだと思う。
 判決が出る前から、最高裁で負けたほうが君にとってチャンスになる、と常に言っていたし、マスコミは「パートナー解消訴訟」と名づけたのに、このサイトを開設するときに「パートナー解消訴訟」ではなくて、「パートナー《婚》解消訴訟」にしたほうがいいと言ったのもSさんだった。
《婚》があるかないか、大違いだ!

 次のメールはどちらの愛かな。
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 早めに寝て、朝仕事をするようにしたらいいと思う。
 体のためにも。
 せいぜい3時だ。
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オニババになる、ならない

 香山リカさんが書いた「〈雅子さま〉はあなたと一緒に泣いている」(筑摩書房)と「結婚がこわい」(講談社)を読んだ。

 その中で、香山さんは、三砂ちづるさんの「オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す」(光文社新書 2004年)に対する不快感を書き綴っている。

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 長年、「女性の保健」について研究してきた疫学者である著書は、「女性のからだの声が忘れられている」と警鐘を鳴らす。そしてその原因を、合理性重視の近代医療と「産んでも産まなくてもあるがままの私として認めてほしい」というフェミニストたちの主張に求めようとするのだ。著者の主張は、「女性というのは、自分のからだを使って、セックスをしたり出産したりということをしていないと、自分の中の、女性としてのエネルギーの行き場がなくなる」ということに尽きる。「女性のからだの声」とはひとことで言えば「セックスと出産をしたい」ということになるようだ。「女としての性を生きたい、というからだの意思がありますから、それを抑えつけて宙ぶらりんな状態にしていると、その弊害があちこちに出て」 (中略) 、ついには「オニババになる。」
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 子どもを産んでいない香山さんが不愉快に思うのは無理ないだろう。2度の出産の度に体が丈夫になった一方で、2度目の双子出産時に死にかかった経験があり、しかも近代医療がなければ命を落としていた私は、さらに複雑な気持ちだ。「女性のからだの声」についても、子どもを産みたいという場合だって、お腹の子どもよりも自分のほうが大事という場合だってあると思う。

 香山さんは、「オニババになりたくなければ、からだのリズムを昔に戻すのではなく、女性ホルモンを投与してホルモンをコントロールしよう」という婦人科医、対馬ルリ子さんの話を引用。この意見を支持し、オニババ説に異議を唱える。

 私は、女性ホルモンが少し低下しているのを知った43歳から足掛け6年間、女性ホルモンの補充療法をしている。補充療法を受けようと思ったのは体のどこかに不調があったからではなく、「私のからだの声」による。この補充療法が私の体にもたらす効果はわからない。たとえば、今までの人生で自分の髪からみつけた白髪は10本未満であるが、それが補充の効果かどうかはわからない。同様に害もまだわからない。

 セックスをしていないとオニババになるのだろうか。しているとオニババにはならないのか。何だかアホらしい。一日ずつ確実に老けていき、オニかオニでないかは別にして、次第にババになっていくだけだ。

 「子宮を空き家にしないように」しながらどうやって知識や技術を身につけ、仕事もするかというと、三砂さんは、「20歳くらいで子どもを産んで、若い間に子どもを育て終わってしまって、本当に仕事として戦力となるときにフルに復帰したらいい」という。それに対して香山さんは現実的に現代の日本社会はそういう働き方が許されるシステムにはなっていないのに楽観的過ぎると批判する。

“若い頃の努力が一人前の仕事人にする”という当たり前のことを三砂さんは忘れていると思う。

 11月10日のノートブックで紹介した勝間知代さんのような、21歳で第一子を出産し、3人の子どもをもつビジネスウーマンもいるだろう。しかし、私の知り合いに、経済系の学部に通っていた21歳のときに第一子の出産したために就職できず、第二子、第三子と出産の度に社会から取り残されるのではないかと思い悩み、精神科に通院していた女性もいる。私が“自分の手では育てない”ことを条件に子どもを産もうと決めたのは、この女性の様子を間近で見ていたからだった。

 香山さんの分析にはさすがと思えるところがたくさんあったが、「〈雅子さま〉はあなたと一緒に泣いている」(筑摩書房)と「結婚がこわい」(講談社)の2冊にまったく同じ文章が何度も出ていることに対しては、「こんなの、あり?」と思ってしまった。20代、30代の若い世代から“ポスト上野千鶴子”になる人材を発掘し、育てようとする姿勢が今出版社には求められている。本が売れるという目先の利益だけを考える編集者たちはたぶんそのことに気づかなのだろう。


電車のなかでの化粧ってどこまで悪い

 女が車中で化粧することを批判する人が多くいます。その多くが男性です。

 時間が惜しいとき、私はマスカラをつけずに河原町のマンションを出て、大学に向かうバスの中でマスカラを塗ることがほとんどです。京都の市バスは運転が荒いですから、アイラインは無理! 
 月曜日の朝、東京から京都に向かうときはスッピンで家を出ます。起床から家を出るまで15分。名古屋までは仕事をして、名古屋を出ると化粧を始め、指輪とピアスをつけて、トイレに行き、ついでにゴミを捨てた頃、京都駅手前のトンネルにさしかかる・・・これがいつものパターンです。夜の移動のときは、トンネルを抜けるまでパソコンに夢中になり、京都で降りそこないそうになったこともあります。

 私の友人には、信号停止の間を利用して、車のなかで化粧を全部やってしまうという人もいます。その人は大学助教授と演奏家を両立させているので、新幹線のトイレで“大学の先生のスーツ”から“アーチストの普段着”に着替えるそうです。一度、タクシーの中でも着替えたらしく、乗せたときの服と違っていたので、運転手が幽霊だと思ったという伝説的な話もあり!

 「本来は自分の家や部屋の中など他人の目に触れない場所で行なうべきことを公衆の面前で行なうことは、それを目にする者を大変不快な気持ちにさせる迷惑行為である」ということらしいですが、粉が飛ぶ、匂いがする、キレイになっていく姿を見たくない、西洋人は人前では化粧をしない、日本人の恥だ・・どれも説得力がイマイチ。
 
 山手線や地下鉄の中でご飯を食べるのはダメでも新幹線でダメという人はいないでしょう。ただ単に乗っている時間が長いから、という理由なのでしょうか。
 匂いがする―名古屋味噌カツ弁当のほうが、よっぽど匂います。
 粉が飛ぶ―白いワンピースを着ているときの、隣に座る男性の新聞紙のインクも迷惑です。
 西洋人は人前では化粧をしないかもしれないけど、香水の濃度は半端じゃないですよ。以前私の家を訪ねてきたヨーロッパ人女性の香水が強くて、1日経っても残り香がありました。人前での化粧と濃い香水、どちらがより迷惑なのか、微妙ですよね。

 3年ほど前、ブラジャーの“透明付け替えヒモ”が流行りましたが、今年の夏、ブラジャーのヒモを見せるのは平気になったみたいです。イタリアに行ったとき、腹部を見せていない女の子のほうがずっと少数でした。トランクスをズボンから上に出し見せている男の子も多かったです。おっさんたちが「電車のなかでの化粧」をネタにギャルいじめをしている間にも、“公序良俗”の基準は大きく変化しているのでは?
 
 バスの中で化粧をしてキレイになっていく女に対して、「アンタはん、短い間にエライ、キレイになりはりましたなぁ~」と言える男性がもっといてもええのと違いますか。

 文化の差なのかな?


伊田広行さんの考え方

ジェンダー学者の伊田広行さんは、著書のなかで次のように言っています。

 そもそも民法などは、財産の争いを整理するためにルールをつくったのであって、それだけのものにすぎず、心のあり方(人の生き方)を国家の法律でコントロールしてもらって当然とおもうところがすでに転倒しています。( p.215 「はじめて学ぶジェンダー論」 大月書店)

 結婚も同じで、退会、すなわち離婚の自由があってこそ、結婚もまともな自主的な活動といえるのではないでしょうか。・・中略・・・以上のような考えから、シングル単位的には、できれば仲良くしていきたいが、もし一方が別れたいと考えたら、相手に抵抗するのではなく、それを受け入れるという契約をしておくことが望ましいと考えます(離婚同意書のようなものの相互交換)。( p.218)


 伊田さんの考えと比較して、

 関係を結ぶのもやめるのも自由だけど、法律に縛られない関係をつくっていたとしても、その関係のなかで非合理な、不当な行為が行われれば法の審判にゆだねられるべきであるというのが、パートナー解消婚訴訟の原告である私の主張です。
http://www.partner-marriage.info/hannou_2_1-comment.html
 
 そして、民法が「財産の争いを整理するためのルール」だけであってはならないと思うし、一番問題なのは、「慰謝料」という言葉を使うことからわかるように、ほとんどの法律家が民法を「財産の争いを整理するためのルール」だとは思っていないのに( ひょっとしたら思っているのかしら )、結局物質的なことしか見ていないのではないかということ!

 伊田さんは スピリッチュアル(spiritual 霊的な、精神的の、神聖な、 崇高な、宗教の、教会の)な関係を目指していますが、私は男性とはもっと“情”の関係を築きたいです。彼は理想主義すぎると思うし、どうしても、「婚」ではなく、「恋愛」について考えている風にしか私には感じられないんです。


女の文化の高さが少子化を加速させる

 一般的に、保育園の拡充、地域の子育て支援の充実、男女共同参画の実現が少子化に歯止めをかけると言われているが、果たして本当にそうだろうか。

 きょう、夜間保育をしている保育園の老園長さんにお会いして話を聞く機会があった。京都・大宮六角にお寺の住職でもある方だ。
 「夜間保育をやっている保育園は全国に37、そのうち7つが京都の保育園で、私のところは昭和30年代から夜10時まで預かっています。」京都の保育園の人たちはずっと昔から頑張ってきた。それでも、京都は東京に次いで子どもが生まれない都道府県である。
 病院の小児科の待合室では、お祖父さんやお祖母さんが孫に付き添っているのをみることも多いし、町にはまだまだ昔ながらの風情も、子どもの遊びをサポートする組織もある。仕事柄子育て支援に奮闘している人たちも多くみる。しかし、ワースト2なのだ。
 児童館に勤務する女性が「京都は児童館活動なども充実しているのに、なぜ少子化が進むのでしょう」と嘆く。「東京も京都もまだ子どもを産む年齢には達していない学生が多いからでしょ」と簡単に言ってしまう人たちが保育関係者のなかにもいる。しかし、下宿している学生のほとんどは京都に住民票はないはず。

 「37のうち7つまでが京都なのに、なぜ京都は少子化ワースト2なんでしょうか」と老園長さんに尋ねてみた。彼は「あたってないかもしれへんが、たぶん女の文化が東京、京都の順番に高いのと違うやろか」と話した。“社会進出”ではなく、“共同参画”でもない、“文化”という言葉に私は少し意表をつかれた。

 保育園からの帰り道、四条西洞院の着物屋さんに寄った。そこには着物のプロの女性がいて、私の着物選びに2時間以上も付き合ってくれた。
 
ファイル 28-1.jpg
 
 さまざまな土地にそれぞれの文化がある。
 少子化を加速させる文化とはどういう文化なのだろうか。“都市化”などと簡単に片付けないでちょっと考えてみる必要があると思う。

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 都道府県の合計特殊出生率をみると、2003(平成15)年の場合、全国値1.29を上回る都道府県は36、下回るところは11であった。最も高いのは、沖縄県(1.72)であり、以下、福島県(1.54)、鳥取県(1.53)、佐賀県(1.51)の順となっている。最も低いのは、初めて1を割った東京都(0.9987)であり、以下、京都府(1.15)、奈良県(1.18)、北海道、千葉県及び大阪府(1.20)の順となっている。


娘が姓を変えるということ

 高裁での審判中、相手が、関係の一方的破棄による慰謝料を認める代わりに、長女の親権を私に移動をしたいと言ったことがありました。娘が私立大学にでも行けば、一年の授業料だけでも100万円。それだったら、ここで私に100万払ってもいいかと思ったに違いありません。その頃、再婚してから職をみつけた妻がリストラに遭ったと裁判官に訴えていましたが、私は娘が存在するだけで十分だし、親権なんてどうでもいいので、この取引話を無視しました。

 そのことをこの間娘に話したら、「私はまだ高校生で無名だから、別に深見になってもいいけど。でも、お父さんがそれを望んでいるのなら、とことん○○(相手の姓)で居座ってやるわ。」と言いました。

 
 もし、16歳の子どもが人生の途中で名字が変わるのなら、多くの人がそのことを可哀相だと思うでしょう。「その名字でお友達を作り、学校でも知られているのに」とでも言いながら・・・。それなのに、結婚で変わることについて、可哀相だという人はほとんどいない。なぜなのでしょう。
 私や現在のパートナーSさんのように、その姓で20年ほど仕事をしてきたのなら、ある日突然改姓を求められるのは人権に抵触するほどのこと。「2人とも大学教授だから、論文の著者名が一貫しないから不便なのでしょ。」そんな頭の先っぽのことだけではなく、全人格に及ぶ問題です。

 さて、ここで夫婦別姓と少子化問題を比較してみることにします。
 ずっと女性の社会進出が少子化の原因と言われてきましたが、最近急に、男女共同参画時代の実現が少子化を阻止するという言説が主流になりました。これってウソくさいです。男女共同参画を進めたい人たちが少子化問題を利用し、少子化を阻止したい人が男女共同参画を利用しているとしか思えないからです。
 これと似たようなことが夫婦別姓の阻止でも起こっているのでは? 夫婦別姓を阻止したい人たちは、別のものを阻止したくて、あるいは何かの既得権を守りたくて夫婦別姓の阻止を利用しているのではないですか。

 娘の名前はおそらく日本に1人しかいない珍しい名前です。深見より○○のほうが合うのです。一生、その姓と名前でいいと思っています。


珍しくもない「旧姓使用願届出」

 毎月一回配布される京都女子大の学園報に「旧姓使用願届出」の報告が出ている。大学はまだまだ女性の多い職場ではないし、毎月結婚する人が大勢いるわけではないのにかなりの頻度である。きょう配布された4月20日付の同報にも女性の教授と、女性の特任実習助手が旧姓を使用すると書いてあった。そろそろ夫婦別姓選択制が認められてもいい頃ではないかなと思う。私は夫婦別姓選択制が導入されても婚姻届を出す気はまったくないけれど・・・。


 声楽家のMさんは結婚し、旧姓であるMを使っていたが、離婚をしてMに戻った。その度にこの学園報に「旧姓使用願届出」と「改姓届」の報告が出たという。ずっと同じ名前でやっているのに、これって、個人情報の露出ではないですか。