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 このノートブックは、深見友紀子が原告となった裁判・最高裁パートナー婚解消訴訟の補足説明としてスタートしました。裁判の内容を知らないと理解しにくい文章があると思いますので、興味のある方は、下記サイトまでアクセスしてくださいますようお願いします。
http://www.partner-marriage.info/

何か今できることをしたい、と言ってはダメなのか

 「女性研究者支援」という単語でブログ検索して、東北大学教授の大隅典子さんという方のブログ「大隅典子の仙台通信」をみつけました。
 医学者であり、男女共同参画などに関する委員もしている大隅さんは、2005年12月19日のブログで次のように書いています。
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 私はやっぱり「ジェンダー」という言葉が胡散臭くて嫌いである。「フェミニズム」も大嫌いである。
 ただし、もし、家庭と仕事の両立や、子育てや介護で大きな負担を強いられ、そのためにキャリアを諦めるような女性が、現実に、多数いるのであれば、その人達のために何か今できることをしたいと、心から思う。
 あるいは、「女の子だからエンジニアになるのは無理かなあ?」と思う中学生に、「なりたいものになっていいんだよ」と背中を押してあげたいと思う。
 それはすでに一山超えることができた人間としての務めだと考える。
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 これに対して、次のような書き込みがありました。
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 「何かできることということ事態他人事であって、真に男女共同参画を考えていられなかったことが伺われます。大隅先生のこれまでの境遇を考えるとあたりまえなのでしょうが。たくさんの役員を引き受けられてたいへんだと思いますが、頑張ってください。」
 「(上記の)コメントに、正直、唖然としてしまいました・・・現実に「多数」いるからこそ、やっと、ジェンダー問題として、皆が考えなくてはいけないと、表面化してきたと私は認識しています。自分のキャリアのためには、子供を早く産みすぎたと、私は思っていますし、男社会の壁は、まだまだ厚く、自分の生き方を悩む日々です。」
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 大隅さんのコメントに解説を加える人も出てきました。
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 「ただし、もし、家庭と仕事の両立や、子育てや介護で大きな負担を強いられ、そのためにキャリアを諦めるような女性が、現実に、多数いるのであれば、(勿論私はそう考えている。だからこそ)その人達のために何か今できることを(責任ある研究の傍ら、今の状況ではこのようなかたちで男女共同参画に携わることしかできないけど、精一杯努力)したいと、心から思う。」と受けとめました。
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 こんな状況では、怖くて何も書けないなぁ。読んでいて私は“心から”そう思いました。

 「女性のジェンダーに背いている」存在だとは思っていません、と理科系の大隅さんは書いています。医科系の大学を中退して音楽に道を変えた私も、自分自身を「女性のジェンダーに忠実な」存在であるとは思っていませんよ。(音楽の世界では女の作曲家が少ないことが当面のジェンダー問題とされています。)

 「女性研究者」もさまざまです。
 私たち音楽教育家のなかでは、これまでポスドク(博士号は取得したが,正規の研究職または教育職についていない者)は存在しませんでした。最近東京芸大を中心に博士課程の学生を多くとるので、これからは出てくると思いますが・・。つまり修士号だけで正規の研究職または教育職に就けたのです。

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 WEDGE(2006年1月号)に早稲田大学教授の長谷川眞理子さんが次のように書いています。
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 「大工として、男女を問わず能力があれば採用する」としても、伝統的に「女は大工に向いていない」という考えで教育し続けていれば、大工になりたい女性がいても、途中でその望みはつぶされるかもしれない。それを跳ね返して望みを達成しても、不利に扱われるかもしれない。集団全体として見たときに、大工になりたい女性や、向いている女性は少ない、ということが実際にあるとしても、それはどうでもよいのである。『たった一人』でも大工になりたいと思い、それに向いている女性がいたときに、「女性であるから」という理由で彼女が不利になるのは、一種の人権侵害だということだ。子育てをどうするのか、家族はどうなるのか、などといった問題は、まず人権をどう考えるかを決めてからの問題である。
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 子育てや家族と、個々人の人権と自由とを両立させることは、“生物学での大発見”よりも、“超人的な演奏”よりも困難なのかもしれません。
 大隅さんほどではないにしても、すでに“丘”ぐらいは超えた私も、『たった一人』のために応援していく務めがあると思っています。

「大隅典子の仙台通信」の2005年12月19日のブログ
http://nosumi.exblog.jp/2396506


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