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 このノートブックは、深見友紀子が原告となった裁判・最高裁パートナー婚解消訴訟の補足説明としてスタートしました。裁判の内容を知らないと理解しにくい文章があると思いますので、興味のある方は、下記サイトまでアクセスしてくださいますようお願いします。
http://www.partner-marriage.info/

パートタイム就労か、ピアノ教師をやるなら理想的?

 自由民主党の政策研修叢書「日本型福祉社会」(1979年)には、典型的なA氏のライフスタイルが書いてあるらしい。

http://www2.aasa.ac.jp/people/nyuu/siryou2.pdf

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 A氏夫人は35歳にして子育てが一段落して暇になって男性の場合の老後に近いライフステージに入る。この早すぎる老後に彼女が家庭外に出るとしても女性は組織の一員として組織の管理に関係するような役割を演じるのに向いていないから(!)パートタイム就労か、ピアノ教師でもするなら理想的である。A氏夫人が外出しやすくするためにも、親世代との同居ないし近居によって二つの家庭を合体ないし連結し、より安全性の高い家庭を作るよう工夫するのが賢明であろう。
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 1993年、2人目の子どもを産んだとき、私は大学院を出て2年目の35歳のピアノ教師だった。子どもの父とは合意の上で別居し、別経済。当時、親世代はそれぞれ静岡と大阪にいた。

 つまり、上の自由民主党の文章によれば、“安全性のすこぶる低い家庭”だったし、すでに私は女としては“早すぎる老後”の年齢になっていたということになる。

 http://www.partner-marriage.info/c4.html

 音大出身の妻が一週間のうち数日、あわせて10人程度の子どもにピアノを教えているとしよう。一人の月謝を1万円として月10万だ。夫が一杯稼いでくれて、生活の心配をすることなくその10万円で洋服だとかバッグだとかを買うのなら優雅だろうけど、世帯主の仕事だとしたらフリーターそのものだし、就業形態としては内職そのもの。

 何としても私は組織の管理に関係するような役割に就きたい!!!!!!!

 “早すぎる老後”の年齢の私が育児をしていたのではそれは不可能であると感じたので、これも合意の上で私は“義務としての”育児はしないという約束をした。(両立している女や、40歳過ぎてから始めたことで成功した女がいるよ、と幾つかの事例を挙げて私を批判する人たちは、その数万倍、仕事ができなくなってしまった女がいる事実には目をつぶって知らないふりをしているか、本当に知らないのだ!)
 39歳の春、地方の国立大学の助教授になった。
 そして昨春、今の大学の教授になった。


 でも、私は今でも週末はピアノ教師です。大好きな仕事なので、大学がどんなに忙しくなってもこの仕事は続けるつもりです。

http://www.ongakukyouiku.com/music-lab/index.html

 「パートタイム就労か、ピアノ教師でもするなら理想的である。」ということですが、現実はそんなに甘くありません。近所に生徒募集のチラシを撒いても反応はゼロに近い。新規の生徒のほとんどは口コミでしか入ってこないという情けない状態なんですよ。

 一般の人々は、音大のピアノ科を出てピアノを教えて食べれる人の少なさを知っているのかしら。投資と回収という点からすれば料理のほうがよほど儲かるし、うまくいけば「カリスマ主婦」になれると友人のピアノ教師たちがぼやいています(笑)。


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