深見友紀子 最高裁・パートナー婚解消訴訟 オフィシャルサイト

本件に対する法律関係者の論考
判決直後から2005年末まで

水野紀子「婚姻外の男女関係の一方的解消による不法行為の成否」に対する私のコメント

 水野紀子さんは、(1)「社会における女性の地位が低かった日本で、性的関係をもつことが女性にとって大きなダメージを意味する一方、性的暴力や性的搾取への刑事的・行政的制裁は極めて不十分であり、非嫡出子への養育費請求などの民事的救済手段も、男性に捨てられた女性と子が実際に利用できるものではなかった」、(2)「女性が性的な自己決定を実質的に行使できるようになるにつれ、威圧によらない真の合意による性関係が情操侵害の不法行為となるという法理は説得力を欠くものとなった」、(3)「内縁準婚理論の実際の意義は、経済力をもたず家事や育児というシャドウワークに従事する女性の保護であったから、本件の場合は当てはまらないが・・」といった現状を述べ、本件における女性、すなわち私は、法による「救済の必要な典型的弱者である内縁の妻ではない」としています。また、(4)「過去の協力関係を組合類似のものと評価して財産の清算を認めるのがせいぜい」として、共有財産を持たなかった私と相手との間には清算も何ら発生しないと解説しています。

 この解説を読んでいると、法律婚外の男女だけではなく、たとえ法律婚夫婦であっても、男女が対等に経済力を持ち、ましてや両者の間に子どももいないのならば、両者の破綻に際して「財産的な請求権」を認めて、財産の清算をするだけで十分であり、慰謝料の請求は承認しなくてもよいとする見解であるといった印象を受けます。つまり、どちらかが卑劣な行為や裏切り方(その内容は貞操侵害だけとは限りません)をして関係が破綻し、一方が精神的な損害を受けたとしても、その被害は考慮しなくてもよいということであり、水野さんは物理的、物質的状況にのみ配慮すれば十分であるとの見解であると考えざるを得ません。少なくともこの解説文面からはそのようにしか読み取れませんし、女性に対する認識を表す、上記の文章(1) (2) (3)については、過去の時代のことをいっているのか、現代のことをいっているのかさえわからないです。(4)についても、財産などの物質的側面だけが、男女のパートナー関係をつくるのですか、と問いたくなります。

 法律婚の破綻に際しても財産の清算をするだけで十分であるならば、慰謝料という名称は実態にそぐわなくなっているということになり、生活費、養育費などといった具体的な内容に置き換えるべきです。もし、「家事と育児というシャドウワークに従事した」結果、男性と「経済的な従属関係」になった女性たちに対する救済としての慰謝料ならば、そうしたシャドウワークのほとんどを女性がこなし、かつ経済的にも対等な法律婚夫婦の破綻の際は現在どのように扱われるのでしょう。 このシャドウワークというものの物質的価値を算出し、対価を支払えばよいというのでしょうか。

 私は法律婚以外の男女関係が破綻したときは、当事者同士の意思によって成立してきた関係であるからこそ、その解消の様態における不当性をより一層問題視すべきだと思っていましたし、今も思っていますが、目に見える物質的なことのみで判断するという方向性のなかでは、自由な関係をつくるのも、崩すのも簡単であると片付けられてしまうのだなと感じました。法律家は目に見える具体的な損害でしか人生を見ないのでしょうか。まるでカルテしか見ない医者、成績表の数字しか見ない教育者のようです。

 水野さんの解説のなかでとりわけ私が気になるのが「性的な関係を含む協力関係を債務として内包する契約を有効とするのは、公序即との関係で難しいのではないか」という文章です。性に関する記述に終始したあげくに、ここではじめて協力という言葉を使い、それらを結びつけています。

  1. 性的な関係とは何ですか。性交渉を指すのでしょうか。
  2. 性的な関係は債務なのでしょうか。
  3. 性的な関係を含まない協力関係ならば公序則に反しないのでしょうか。
  4. 法律婚だけが、公序則に合致した「性的な関係を含む協力関係を債務として内包する契約」なのでしょうか。
  5. セックスレスの法律婚夫婦は債務を果たしているのでしょうか。

 「性的な関係を含む協力関係を債務として内包する契約」って非常にわかりにくい言い回しです。

 「内縁準婚理論が、夫婦同氏の強制等を嫌った当事者が選択する事実婚の正当性を認める法理として新たな論拠で支持されるようになった」とありますが、法律婚の義務とされる幾つかの項目のなかで、なぜ夫婦同氏を嫌うことだけを認めるのでしょう。"等"というからには他にもあるのでしょうか。共同生活の強制を嫌う、共同養育の強制を嫌う、共同経済の強制を嫌う人たちがいてもおかしくないのではないでしょうか。夫婦同氏の強制だけを特別に扱う正当な理由はありますか。夫婦同氏を嫌う人たちでさえ少数に過ぎない、その他の義務を嫌う人たちなどよほどの変わり者だと主張する方もいるでしょう。しかし、たとえば、若い世代におけるニートの増加からは、低収入のために子どもをつくれないだけに止まらず、両者の収入を合算しても共同生活を営むことができずに親世帯から独立できない、その結果自ずと共同財産なども形成できない男女が増えていく可能性を予見できます。社会的強者や変わり者ばかりではなく、ごく一般的な人々からもそういった事態が生じるかもしれないということにも想像力をもつべきです。

 水野さんは、「将来に向かっても関係離脱の自由は合意によっても放棄できないと考える。」と述べています。
 関係離脱の自由があるのは当然です。
 関係を結ぶのもやめるのも自由です。
 これらは当然のことです。しかし、法律に縛られない関係をつくっていたとしても、その関係のなかで非合理な、不当な行為が行われれば法の審判にゆだねられるべきでしょう。法律に縛られない関係であるからといって何をやってもいいということでは決してないはずです。関係をやめるには話し合いと合意が必要であり、それらをせずに一方的にやめることを通達するのは明らかに不当行為です。暴力をふるったり、財産を搾取したりすれば当然法的審判を受けるのと同じです。

 「かりに当事者の一方が婚姻と同様の裁判所の後見的な介入を望むとしてもそれに応じるのは過保護・過干渉であると言わざるを得ないのではないだろうか」(「事実婚の法的保護」 石川稔ほか編 『家族法改正への課題』 p.83〜84、日本加除出版 1993年)とありますが、今回の裁判において私は法律婚と同様の財産の清算も養育権も求めてはいません。

 「この種の合意を裁判所が民事的に担保できる有効な契約と評価できるかという判断は、微妙である。」
 関係離脱の自由さえ認めないといった法律婚以上の制約が不可能なのはもちろんですが、関係が破綻した際には、法律婚の場合と照らし合わせるなどして真摯に協議する、それを拒絶した場合は不当行為として法の審判にゆだねるといったことを取り決めておくことや、具体的な生活上の内容を契約として残しておくことはできるはずです。もしもそれもできないとなると、いったい人と人の間の契約とは何なのかという問題になってくると思います。
 たとえば、姉妹が存在して、妹が親の介護をすべて引き受ける代わりに遺産はすべて妹が相続するといった合意を関係者で行うなど、通常の利益の配分とは異なる配分を親族間で取り決めることが可能であるのと同様、親族以外の、愛情を基盤とした者同士での何某かの契約が社会における通常の契約と同様に有効であるべきだと思います。

 「本件の出産に当たっての合意は、子の遺棄を内容とする契約であって極めて違法性が強いものである。」とありますが、まずこの取り決めは、子を遺棄するものではなく、子の養育を相手に委ねるというものです。
 コラム7コラム8で私が述べた長男の妊娠、出産、養育に関する状況と、実際の公正証書の内容、家事や育児に従事するために多くの女性たちが経済力を失ってきたこと、そして現在も失っていること、生活するために仕事をやめるわけにも中断するわけにもいかなかった私の状況などを総合的に判断して、もう一度この取り決めの違法性を水野さんに問いたいです。

 法律家4氏(No.1 水野紀子さん、No.2 石川博康さん、No.3 良永和隆さん No.4 本山敦さん)の解説のなかで最もまともな内容である水野さんの解説にも、まだいくつか疑問に感じるところがありますので、列記します。

 「子を養育する環境として父と母の関係の安定性が必要であることを考えると」と水野さんが述べていることについて、安定性と何なのか、父と母でなければならないのかという点についてもっと詰める必要があると思います。 (良永さんの解説に対する私のコメントを参照)

 「当事者間の子については、両親の義務は契約の有無にかかわらず法によって強制されるものである。」について、養育費ばかりではなく認知も必要ないと女性が希望した場合の、その子どもの生物学上の父親はどういう扱いになるのでしょう。素朴な疑問です。

 女性の性的被害に関する記述が必要以上に多かったり、「ドメスティックバイオレンスやセクシャルハラスメントという概念で被害を切り出していますが・・」と、この事件との関連の薄い、職場や学校など社会のあらゆる領域における差別であるセクシャルハラスメントを取り上げたことによって、文末で「・・点でも論ずべきことは多いが、ここでは触れる余裕がない。」と自身が述べているように、肝心のことについて触れることができず、紙幅が尽きたのは残念です。

 「このように明瞭に公序則に反する契約が公証人役場で確定日付を受けた点」とありますが、平成4年11月17日、この取り決めをした時のことを私ははっきりと憶えています。役場の係員は、精読しなかったばかりか、この文面に目を通すこともなく、ただ事務的に判子を押したのみです。

 水野さんは、自身は大学教授でありながら、女性が経済力をつけて男性と対等な関係になった際のさまざまな権利や利益についておそらくあまり視野に入れていないのではないかと思います。物理的、物質的な状況を中心に考えるのであれば、女性が経済的弱者であるケースのみならず、パートナー関係を一方的に突然放棄し、そのパートナー関係によって誕生した2子を介在させて、女性の資産を狙う可能性もある、本事件のようなケースにも想像力を働かせてほしいです。現代の男女の問題はもっともっと複雑であると私は思います。

(2008年4月8日 若干加筆修正)

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深見友紀子(ongakukyouiku.com)

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